(読み)ハナ(その他表記)flower

翻訳|flower

デジタル大辞泉 「花」の意味・読み・例文・類語

はな【花/華】

種子植物有性生殖を行う器官。葉から変形したがく花びら雄しべ雌しべおよび花軸からなる。この要素の有無により完全花不完全花に、雄しべ・雌しべの有無により両性花単性花に分けられる。受精して実を結び、種子を生じる。「―がほころぶ」「―がしぼむ」
花をもつ植物。また、美の代表としてこれをいう語。「―を植える」「蝶よ―よと育てる」
の花。すべての花を代表する意で、平安時代後期に定着した言い方。「―のよい
「―散らす風の宿りは誰か知る我に教へよ行きて恨みむ」〈古今・春下〉
2のうち、神仏に供えるもの。枝葉だけの場合もある。「手向たむけの―」
造花。また、散華さんげに用いる紙製の蓮の花びら。
生け花。また、華道。「お―の師匠」
花が咲くこと。また、その時期。多く、桜についていう。「―の便り」「―曇り」
見かけを1にたとえていう語。「氷の―」「波の―」
1の特徴になぞらえていう語。
㋐華やかできらびやかなもの。「社交界の―」
㋑中でも特に代表的で華やかなもの。「火事と喧嘩けんかは江戸の―」「大会の―ともいうべき種目」
㋒《華やかで目立つところから》功名。誉れ。「後輩に―を譲る」
㋓最もよい時期。また、盛んな事柄や、その時節。「独身時代が―だった」「今が―の俳優」
㋔実質を伴わず、体裁ばかりよいこと。また、そのもの。「―多ければ実少なし」
10 1に関わるもの。
花札はなふだ。「―を引く」
㋑心付け。祝儀。「―をはずむ」
11 世阿弥の能楽論で、演技・演奏が観客の感動を呼び起こす状態。また、その魅力。
12 連歌で、花の定座。また、花の句。
13 和歌・連歌・俳諧で、表現技巧や詞の華麗さ。内容の意のじつに対していう。
14 《他に先がけて咲くところから》梅の花。
「今のごと心を常に思へらば先づ咲く―のつちに落ちめやも」〈・一六五三〉
15 花見。特に、桜の花にいう。
「尋ね来て―に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月」〈新古今・春上〉
16 誠実さのない、あだな人の心のたとえ。
「色見えで移ろふものは世の中の人の心の―にぞありける」〈古今・恋五〉
17 露草の花のしぼり汁。また、藍染めで、淡い藍色。はなだいろ。はないろ。
「御直衣なほしの裏の―なりければ」〈大鏡・伊尹〉
18 華やかなさかりの若い男女。また、美女。転じて、遊女。
「―に遊ばば、祇園あたりの色揃へ」〈浄・忠臣蔵
19花籤はなくじ」に同じ。
[補説]植物については「花」と書く。
作品名別項。→
[類語](1草花生花生け花切り花盛り花押し花造花ドライフラワー花束ブーケ花輪レイ徒花あだばな無駄花初花国花県花名花梅花桜花菊花綿花菜の花落花/(9㋓)盛り盛期盛時黄金時代最盛期盛代真っ盛り花盛りたけなわたける出盛り

か【花】[漢字項目]

[音](クヮ)(漢) ケ(呉) [訓]はな
学習漢字]1年
〈カ〉
はな。「花壇花瓶花弁開花菊花献花国花生花造花百花落花風媒花
花のように美しい。美しいもの。「花押花街花顔詞花名花
〈ケ〉はな。「供花くげ香花こうげ沈丁花じんちょうげ
〈はな(ばな)〉「花形花束花火花見花道花嫁花輪徒花あだばな尾花草花総花出花初花火花雌花
[名のり]はる
[難読]紫陽花あじさい八仙花あじさい無花果いちじく花魁おいらん女郎花おみなえし燕子花かきつばた花梨かりん花櫚かりん花車きゃしゃ山茶花さざんか胡蝶花しゃが石楠花しゃくなげ茅花つばな浪花なにわ凌霄花のうぜんかずら唐棣花はねず

はな【花】[曲名]

武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の唱歌。滝が明治33年(1900)に発表した歌曲集「四季」の1曲目にあたる。隅田川の春の情景を描写する。

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精選版 日本国語大辞典 「花」の意味・読み・例文・類語

はな【花・華・英】

  1. 〘 名詞 〙
  2. [ 一 ] 植物の器官の一つで、一定の時期に美しい色彩を帯びて形づくるもの。
    1. 種子植物で、有性生殖を行なうために分化した花葉と花軸の総称。花葉には花冠(萼片・花弁)・雄しべ・心皮の区別がある。花弁は時には萼片や苞葉とともに、美しい独特の色彩を持つが、実際には緑色のものが多い。また、これを構成する各花葉の有無により完全花・不完全花、雌しべ・雄しべの有無で単性花・両性花などに区別する。普通、つぼみが開いたもので、受精して実を結ぶ。また、隠花植物の胞子穂などをいうこともある。
      1. [初出の実例]「葉広 斉(ゆ)つ真椿 そが葉の 広り坐し その波那(ハナ)の 照り坐す」(出典:古事記(712)下・歌謡)
    2. ( 春、百花にさきがけて咲き、また奈良時代以来その愛好が盛んであったところから ) 特に梅の花をいう。
      1. [初出の実例]「今のごと心を常に思へらば先づ咲く花(はな)の地(つち)に落ちめやも」(出典:万葉集(8C後)八・一六五三)
    3. ( それが春を代表する花であるところから ) 特に桜の花をいう。平安後期に固定したものとみられ、以降「花」すなわち「桜」の用法が多い。《 季語・春 》
      1. [初出の実例]「花ちらす風の宿りはたれかしるわれに教へよ行きて恨みむ〈素性〉」(出典:古今和歌集(905‐914)春下・七六)
    4. が咲くこと。開花。特に桜の花にいう。
      1. [初出の実例]「向つ岡(を)の若楓の木下枝(しづえ)とり花(はな)待つい間に嘆きつるかも」(出典:万葉集(8C後)七・一三五九)
    5. を見て賞すること。特に桜の花にいう。花見。
      1. [初出の実例]「尋ね来て花にくらせる木の間より待つとしもなき山の端の月〈藤原雅経〉」(出典:新古今和歌集(1205)春上・九四)
      2. 「花に暮て我家遠き野道かな」(出典:俳諧・蕪村句集(1784)春)
    6. のうち、神仏に供えたり生け花としたりするもの。のついていない枝葉などをもいう。
      1. [初出の実例]「梅の花しだり柳に折りまじへ花にそなへば君にあはむかも」(出典:万葉集(8C後)一〇・一九〇四)
    7. ( 仏前に供えるところから ) 植物「しきみ(樒)」の異名。〔書言字考節用集(1717)〕
    8. 花をいけること。いけばな。花道(かどう)。お花。
      1. [初出の実例]「掴み込みましたと亭主花の味噌」(出典:雑俳・柳多留‐六(1771))
    9. 露草の花びらからしぼりとった青色の絵の具。これを和紙にしませて青花紙(あおばながみ)を作る。
      1. [初出の実例]「頭には花を塗り」(出典:栄花物語(1028‐92頃)もとのしづく)
    10. 露草の花のしぼり汁の青白い色。縹(はなだ)。さらに、藍染(あいぞめ)の淡い藍色をいう。また、花染。
      1. [初出の実例]「みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花かくれなゐか、すこしにほひたるも」(出典:枕草子(10C終)三六)
    11. 米、麦、大豆などの原料に繁殖した麹黴(こうじかび)。麹花(こうじばな)。また、麹のこと。
      1. [初出の実例]「酒つくる花のことなりかうじをここらに花と云ぞ」(出典:玉塵抄(1563)四〇)
    12. 自然界の美の代表として、また、春の風雅の対象物の代表としていう。「花ほととぎす月雪」「雪月花」など。
      1. [初出の実例]「はな鳥の色をもねをもいたづらに物うかる身はすぐすのみなり〈藤原雅正〉」(出典:後撰和歌集(951‐953頃)夏)
  3. [ 二 ] ( 色や形から比喩的に用いる )
    1. 雪、霜、白波、月光、灯火などを、その形状や色合の白の意識をなかだちとして花に見立てていうことば。「雪の花」「氷の花」「波の花」「湯の花」「硫黄の花」「火花」「風花」など複合語となることが多い。
    2. 灯心がとぼって、その先端の白く灰状になったもの。
      1. [初出の実例]「先づ燈心の花を落して掻き立てた」(出典:護持院原の敵討(1913)〈森鴎外〉)
    3. (かさ)、あるいは発疹。
      1. [初出の実例]「顔の膏薬も、てっきりおどもりの湿の瘡(ハナ)」(出典:浮世草子・諸道聴耳世間猿(1766)三)
    4. 茶を煎じたとき表面に浮くあわの、軽く細かいものをいう。
    5. 月経。
      1. [初出の実例]「恋の花けふ咲きそめる恥しさ」(出典:雑俳・柳多留‐四四(1808))
  4. [ 三 ] 花にあやかったり、花をかたどったり、あるいは花を描いたりした物や事柄。
    1. 造花。つくりばな。かざりばな。
      1. [初出の実例]「花を結び、殊更ものを能く書きて」(出典:御伽草子・あきみち(室町末))
    2. 散華(さんげ)に用いる紙製の蓮の花びら。
      1. [初出の実例]「葬礼は此家から花をふらして」(出典:浮世草子・西鶴織留(1694)二)
    3. ( 「纏頭」とも書く。花の枝につける進物の意から )
      1. (イ) 芸人や力士などに祝儀として与える金品。また、祭の寄付をもいう。かずけもの。てんとう。心付け。紙花と称して、紙をひねって与え、のちに現金に換えることもある。
        1. 花<b>[ 三 ]</b><b>③</b><b>(イ)</b>〈摂陽奇観〉
          [ 三 ](イ)〈摂陽奇観〉
        2. [初出の実例]「銀壱両位の花をいだすがよく侍る」(出典:評判記・寝物語(1656)一三)
      2. (ロ)とこばな(床花)
    4. 俳諧・狂歌の添削料のこと。入花(いればな)。点料。
    5. 上方で、芸娼妓や幇間(ほうかん)の揚げ代をいう。花代。
      1. [初出の実例]「宵から漸花(ハナ)ふたつ」(出典:浮世草子・好色産毛(1695頃)四)
    6. 上方で、芸娼妓の花代を計算するために用いる線香。また、それによって計る時間。芸娼妓を揚げると、置屋の線香場に線香を立て、その一本が燃えつきるのをもって花一つとして時間を計る。時計を用いるようになってもいう。〔洒落本・月花余情(1746)〕
    7. 芸娼妓・幇間(ほうかん)が、線香による計算で座敷に呼ばれること。
      1. [初出の実例]「上方の女郎を呼にやると、今一寸余所へ花に往てじゃといへば」(出典:随筆・皇都午睡(1850)三)
    8. ウンスンカルタの組札の一種。剣や筒の頭に花のついた図柄のもの。全部で九枚あり、「ロハイ」(飛龍を描いたもの)に花のついたものを貴び、この札を持った人から打ち始める。
      1. [初出の実例]「たとへば花の三を壱人出し」(出典:随筆・半日閑話(1823頃)八)
    9. 花カルタ。花札。また、それを用いて行なう競技。花合わせ。
      1. [初出の実例]「大分花がはやるとの噂だが」(出典:洒落本・南閨雑話(1773))
    10. 連句の花の定座(じょうざ)。また、花の句。
      1. [初出の実例]「卯七曰『花を引上げて作するはいかに』」(出典:俳諧・去来抄(1702‐04)故実)
    11. 昔の菓子の名。丸く平たくて花弁に似た形のもの。もとは吉野で、年頭に蔵王権現に供えた餠を砕き、米を加えて作り、二月一日、諸人に配る餠。花(はな)の果物。
      1. [初出の実例]「供養を述べん料にとて、菓(くだ)物を遣はしたりけるに、花と申ものの侍けるを見て遣はしける」(出典:山家集(12C後)下)
  5. [ 四 ] 花の美しく、咲き栄えるさまにたとえていう。
    1. ( 形動 ) はなばなしく栄えること。美しく盛んなこと。はなやかなこと。栄華。繁栄。
      1. [初出の実例]「時の花をかざす心ばへにや」(出典:栄花物語(1028‐92頃)初花)
    2. ( 「花の…」の形で ) 美しいさま、華やかなさまを表わす。ほめことばとして用いる。
      1. [初出の実例]「めづらしきさましたるはなの女、七人おりきて」(出典:有明の別(12C後)三)
    3. 世阿彌(ぜあみ)の能楽論の用語。観客に感銘を与える芸のおもしろさ、珍しさ。能として表現されたおもしろさをいい、また一方で、おもしろく見せようと工夫し、珍しさとは何かを感得する演者の心のはたらきをもいう。
      1. [初出の実例]「はなと面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」(出典:風姿花伝(1400‐02頃)七)
    4. 舞台、演芸などで、表現のはなやかさ。はなやかな個性。
      1. [初出の実例]「芸に花はないけれども、さすがに古く本筋の稽古できたえた芸だけに」(出典:巷談本牧亭(1964)〈安藤鶴夫〉生きる)
    5. 男女のはなやかなさかりをいうことば。また、特に美しい女をいい、さらに遊女をもさす。
      1. [初出の実例]「花に遊ばば祇園あたりの色揃へ」(出典:浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)七)
    6. 豪勢な遊び。贅沢な遊興。楽しいこと。特に、色事をいう。情事。
    7. もっともよいこと。もっとも貴いこと。多く、「…が花」の形で限定して、その範囲のうちだけがよい、という意で用いる。
      1. [初出の実例]「只何事も見ぬが仏、きかぬが花」(出典:浄瑠璃・烏帽子折(1690頃)道行)
    8. ( 「…の花」の形で ) ある範囲の中にあって、見ばえのするもの。また、よりぬかれた本質的なもの。精華。精髄。
      1. [初出の実例]「かしこくも江戸の花、江戸名物ともてはやされたる団十郎」(出典:滑稽本・役者必読妙々痴談(1833)上)
  6. [ 五 ] 実に対して、花のあだなさま。本物でないもの。あるいは、花のうつろい、はかなく散るさまにたとえていう。
    1. ( 形動 ) 人の心などに誠実さがなく、あだなこと。うわべだけであること。また、そのさま。
      1. [初出の実例]「霞立つ春日の里の梅の花波奈(ハナ)に問はむと吾が思はなくに」(出典:万葉集(8C後)八・一四三八)
      2. 「今の世の中いろにつき人の心花になりにけるにより、あだなる歌はかなきことのみ出でくれば」(出典:古今和歌集(905‐914)仮名序)
    2. ( 形動 ) 人の心や風俗などの変わりやすいこと。うつろいやすいこと。また、そのさま。
      1. [初出の実例]「色みえで移ろふものは世中の人の心の花にぞありける〈小野小町〉」(出典:古今和歌集(905‐914)恋五・七九七)
    3. 文芸論の用語として、実に対していう。和歌、俳諧などで、意味内容を実にたとえるのに対し、詞(ことば)をさすことが多い。すなわち、表現のたくみさ、おもしろさ、表現上のはなやかな美しさなど。
      1. [初出の実例]「古の歌は、みな実を存して花を忘れ、近代のうたは、花をのみ心にかけて、実には目もかけぬから」(出典:毎月抄(1219))
    4. 外観。うわべ。また、そのはなやかさ、美しさ。また、見かけだけのはなやかさで、実質の伴わないこと。虚飾。浮華。「花多ければ実少なし」
      1. [初出の実例]「浮世の花の栄をば 心の外に打捨てて」(出典:新体詩抄(1882)グレー氏墳上感懐の詩〈矢田部良吉訳〉)
    5. 本籤(ほんくじ)のほかに、若干の賞金が出る籤。花籤。
      1. [初出の実例]「ほんに当る因果なら、はなばかりでおけばいいに、一までとるとはあんまりだ」(出典:黄表紙・莫切自根金生木(1785)中)

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改訂新版 世界大百科事典 「花」の意味・わかりやすい解説

花 (はな)
flower

狭義には被子植物の生殖器官をいうが,もっと広い使われ方をする場合もある。例えばソテツ,イチョウ,マツなどの裸子植物の生殖器官を含めたり,さらには胞子生殖をするツクシの穂をも花とする見解もある。

被子植物の花は見かけ上はさまざまな形があるものの,基本的には同じで,小胞子葉と大胞子葉にそれぞれ相同なおしべとめしべ,さらに萼と花冠があり,それらが付着する花托からなっている。裸子植物の生殖器官には,萼や花冠はないが,軸の先に小胞子葉や大胞子葉が集まったものであり,シダ植物の胞子囊穂(ほうしのうすい)も胞子葉や胞子囊托が集まったものである。これらの植物群の生殖器官は少なくとも構造的に同じであり(胞子葉とその付属物が軸の先に集まったもの),花の概念を最も広くみると,ゲーベルK.E.Goebelが定義したように,胞子葉をつけた苗条であり,シダ植物の一部にも花があることになる。しかし,花が基本的に同じ構成であっても,長い進化の過程で胞子葉や胞子囊はそれぞれの植物群の間で形態学的に分化し,また生殖の方法にも大きな違いが生じている。

 胞子囊穂をつくるツクシやヒカゲノカズラは同型胞子性であるし,イワヒバのように異型胞子性であっても,大胞子は親植物から独立している。このような胞子生殖をするものを花の概念から除外する見解によると,シダ植物には花がないことになる。裸子植物では被子植物と同じように,大胞子葉は胚珠をもち,大胞子は珠心の中で発達し,種子生殖をする。このように裸子植物の大胞子葉と被子植物のめしべ(心皮)は機能的にはよく似ている。しかし,被子植物のめしべは子房の中に胚珠を包みこみ,その先は柱頭となって花粉を受けとめ,雌性配偶体は著しく退化した胚囊となり,胚乳は極核と精核が受精してできる。また子房は発達し実となる。したがって,種子生殖をする裸子植物と被子植物の生殖器官を,たとえ花と呼んだとしても,その内容は異なる。そこで花の概念から裸子植物も除外し,被子植物だけに限定する意見も多い。

花を最も狭くみると,花は被子植物に限られる。花は外側から萼片の集まった,花弁の集まった花冠,有性生殖に直接関係しているおしべめしべ,さらにこれらがついている花托receptacleからなっている(図1)。萼と花冠は花被perianthと総称され,チューリップのように,両者の間に形態学的違いがない場合には,萼は外花被,花冠は内花被と呼ぶ。萼は若い時期にはしっかり閉じ合わさって,その内側の部分を保護している。花冠は一般に美しく,虫などを花にひきつける働きをもち,花粉が柱頭につく受粉を助け,間接的に生殖に役だつ。おしべは花粉(小胞子)の入っている葯(小胞子囊)と花糸(小胞子葉)からなっている。めしべは心皮(大胞子葉)が袋状となり,胚珠をその内側に包み込んでいて,この部分を子房とよび,心皮の辺縁が閉じ合わさったところが柱頭となって,花粉を受け止める。多くのめしべでは子房と柱頭の間に花柱styleと呼ばれる生殖に無関係な部分が発達している。さらに花の基部に,葉が小型化した苞や小苞がみられることがあり,花の形成初期に,その保護に役だっている。花を構成している部分のうち,おしべとめしべが軸または軸と葉的器官からなるとする考えも根強く残っているが,器官学,解剖学,発生学の知見からは,おしべとめしべ(心皮)は葉的器官で,それぞれ小胞子葉と大胞子葉に相同であり,花被は葉の特殊化したものとみなされ,これらを総称して花葉floral leafと呼んでいる。花托(花床ともいう)は軸の先端が短縮したものである。栄養期の苗条は茎を伸長させ,次々と新しい葉を生ずるが,生殖期(花期)には種々な特殊化が起こり,その結果苗条の先端が花となる。特殊化の程度はさまざまで,原始的な花(モクレン科)に比べ,進化した花(キク科,イネ科)のほうがより強く特殊化している(図2)。生殖期には,苗条の頂端分裂組織はやがて活動をやめ,生長がとまる。花托では節間が強く短縮し,普通はきわめて短いが,タイサンボクのように多数の花葉をもつ花では,花托が比較的長いこともある。花托における花葉のつき方はらせん配列(タイサンボクのおしべとめしべ)から輪生配列へ変わる。これらのほかに,花ではさらに次のような特殊化がみられる。(1)放射相称(チューリップ)から左右相称(ツユクサ)になる。(2)離れていた花葉が互いに合着する。すなわち離弁花冠から合弁花冠,離生めしべから合生めしべ,おしべとめしべが合着した蕊柱(ずいちゆう)(ラン科)。(3)子房は上位(イチゴ)から中位(バラ),さらに下位(リンゴ)になる(図3)。(4)花葉が退化して痕跡的になったり,消滅する。すなわち,おしべとめしべをもった両性花から,おしべが退化すれば雌花に,めしべが退化すれば雄花になって単性花となる。(5)花被は多輪生(タイサンボクは三または四輪生)から,多くは萼(外花被)と花冠(内花被)からなる二輪生,さらに一輪生となった単花被花(クワ,グミ,キク)や花被をもたない無花被花(ヤマグルマ)まであり,おしべが花弁化すると八重咲きとなる。これらの特殊化とともに,花葉は形,大きさ,色,においなどの面でも変化をみせ,花はきわめて多様となる。花の形態は,受粉や訪花動物の略奪から生殖に直接関係する部分を保護するため,あるいは種子の散布に対する適応的形態として理解される。エンドウやイチゴで知られているように,花が開く前にすでに受粉が終わっていることもあるが,普通は開花した後になんらかの方法で花粉が柱頭まで運ばれて受粉する。その方法には昆虫(虫媒花),鳥,コウモリなどの動物によるものと,風(風媒花)や水(水媒花)の無生物によるものに二大別される。前者では,昆虫などを誘うために美しい花が多く,においを出したり,蜜腺(スイカズラ),花盤(ミカン),腺体(ヤナギ)をもち,みつを分泌しているものも多い(図4)。また小さい花が多数集まって房をつくり,花序全体が虫を誘引するものもある。ヤナギの尾状花序,キクの頭花,ポインセチアの杯状花序などがその例である。一方,風媒花や水媒花では,花はあまり目だたず,においやみつも出さない。カツラ,ヤマグルマなど花被が消失し,花はおしべやめしべだけとなっていることがある。訪花動物に対する保護形態としては下位子房がよい例である。虫は花粉やみつを集めに花にくるが,下位子房では花被などの下に子房があり,子房は訪花昆虫から隔離された位置にある。

 受粉した花粉は柱頭の上で発芽し,伸び出した花粉管はやがて子房室へ入り,さらに胚珠の珠孔から胚囊にまで達する。一方,胚珠は珠皮とそれに包まれた珠心(大胞子囊)からなり,珠心の中では大胞子母細胞が減数分裂して四つの大胞子となるが,普通三つが退化し,一つが胚囊母細胞となり,さらに分裂して一つの卵細胞,二つの助細胞,三つの反足細胞と二つの極核からなる8核7細胞性の胚囊(雌性配偶体)となる。卵核は精核と受精して胚となり,二つの極核はもう一つの精核と受精して,三倍体の胚乳となる。被子植物の胚囊では,卵核と極核の2ヵ所で受精が起こるので重複受精という。受精につづいて珠皮は種皮となり,受粉などの刺激により子房が発達し実となる。このように被子植物の花は次の世代の子孫となる種子と,この種子を保護したり,遠くへ散布させるのに役だつ実をつくる生殖器官である。

現生の裸子植物はソテツ類,イチョウ類,マツ類,グネツム類に四大別される。生殖器官は普通雌雄が別となっている(図5)。雄の生殖器官は,グネツム類を除いて,小胞子葉に相当する雄蕊が集合した雄性胞子囊穂を構成している。一方,雌性生殖器官は上述した4群で,形態学的に大きな違いがある。ソテツ類では,雄性胞子囊穂と同じように,大胞子葉は互いに集まって雌性胞子囊穂をつくっている。イチョウでは葉腋(ようえき)から出た軸の先に二つの胚珠がついていて,軸に直接胚珠がつくとする意見もあるが,伝統的な考え方によると,胚珠の基部を包んでいる襟部(えりぶ)を退化した大胞子葉とみなしている。マツ類の球花は苞鱗と種鱗の二重構造からなっているが,軸に直接つく苞鱗を大胞子葉とみなし,種鱗はそれに腋生する胚珠をつける特別な構造物とする考えが一般的である。グネツム類のマオウ属Ephedraの生殖器官は数対の対生する苞をもつ短い枝からなっていて,雄では苞の腋に1対の合着した小苞(花被)とそれに包まれた1本の小胞子囊托がある。この小胞子囊托は1対の小胞子葉が合着したものとする考えと,軸の先に小胞子囊(葯)がついたとする意見があるが,これを1本のおしべとみて,小苞を花被と考えると,苞に腋生した器官は一つの雄花とみなすことができる。一方,雌の生殖器官は苞をもつ短い枝の先に二つの胚珠をつける。各胚珠は二つの珠皮をもつとする考えもあるが,外側のものを雄花の花被と相同とみなすと,二つの花被と一つの胚珠からなる雌花が二つついたことになる。雄花や雌花をつける苞をもつ短い枝は,全体として花序とみなせる。

 デボン紀から石炭紀にかけての化石として知られるシダ状種子植物(シダ種子類)では,図7のように種子が軸についたり,シダ植物のように羽状に分かれた葉の縁についたりしている。つまり,種子をつける大胞子葉と栄養葉は形のうえで大きな違いはない。

シダ植物の胞子囊は,ライニアRhyniaのような原始的なものでは,軸の先につくが,多くのものでは葉の裏や縁,まれに表につく。胞子囊をつける葉を胞子葉というが,ツクシ,ヒカゲノカズラなどでは胞子葉(托)が軸の先に集まって,一定のまとまりをもった胞子囊穂をつくる(図6)。この胞子囊穂はおしべ(小胞子葉)やめしべ(大胞子葉)が集まった裸子植物の花と構造的に同じである。しかし,胞子囊穂をつくるものを含め,シダ植物は胞子生殖である。多くの場合,胞子は同型で,地上に落ちて発芽し前葉体(配偶体)となり,その上に造卵器と造精器をつけ,受精卵は前葉体上で育ち幼植物となる。イワヒバ,クラマゴケなど一部のシダ植物では異型胞子をもち,大胞子と小胞子に対応して胞子囊と胞子葉にも分化が起こる。大・小の胞子はそれぞれ雌・雄の配偶体となるが,著しく退化して胞子の殻の中で発達する。大胞子が,小胞子と同じように,親植物から離れて発達することは,裸子植物や被子植物の胚囊母細胞(大胞子)が親植物に寄生して胚囊(雌性配偶体)となることとは異なる。
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花は古来より四季の変化を知る目安であり,とりわけ春の象徴であった。また,人生のたとえとしては最盛期を意味し,主として結婚適齢期の女性の隠喩とされた。ローマ神話には,花の女神フロラFlora(ギリシア神話のクロリスChlōris)が西風ゼフュロスZephyrosと結婚し,蜜(みつ)と花の種を人間に贈る話があり,ボッティチェリの《春》の題材ともなった。結婚式に花を飾る習慣もまた,これらの神話に対応している。また花には,春に特有な生命力の発現や出産の意味が与えられ,イシスやアルテミスなど豊穣(ほうじよう)神の持物となり,男性の側の創造力を象徴する神ラー,梵天(ぼんてん)などの台座(母体の象徴)にも用いられた。またギリシアの〈コルヌコピア(豊穣の角)〉はヤギの角からあふれだす花や果物を表現したもので,これも生産力の象徴である。このように,神の持物として花が好んで使われたことから,多くの古代民族は神の祝福を得る手段として,花冠や花輪を身につけた。神の住いを花園とする考えもこれに由来する。

 象徴としての花は,神々のみならず人間の生活とも古いかかわりをもち,とりわけ都市や国家,王家や英雄などの標章(エンブレム)に使われた例が興味深い。ユリの花は,5世紀のメロビング朝の王笏(おうしやく)にはじまり,十字軍兵士の盾に描かれるなどしながら,やがてフランス王家の標章〈フルール・ド・リスfleur de lis〉となった。1234年にはルイ9世が白ユリ勲章をも制定している。ちなみに,十字軍時代には隊長は部下を統轄する必要から特別な標章をつけねばならず,これが子孫に受けつがれて紋章化したという。イギリスではヨーク家とランカスター家がそれぞれ白バラと紅バラの紋章を立てて争った〈ばら戦争〉が有名で,今日でもバラはイギリス国章になっている。アザミはスコットランドの標章であり,プランタジネット家の標章エニシダとともに興味深い縁起譚が語られている。また花は特定の人物に結びついて伝説化することも多い。例えばナポレオン1世はエルバ島に流されるとき,〈スミレの咲くころに帰る〉と約言し,以来スミレはナポレオン支持者のシンボルとなった。イギリスの首相であったB.ディズレーリはサクラソウを深く愛したため,彼の命日である4月19日を〈サクラソウの日Primrose Day〉と呼んで,市民がこの花をつける。

 次に,花の特徴であるその美しさは,人々に芸術的関心をも呼び起こし,長く美術や文学の主題となりつづけた。そのうちとくに重要なのは花の擬人化であろう。ギリシア・ローマ時代にはアイソポス(イソップ)による動物を擬人化した物語《イソップ物語》に対し,オウィディウスは《転身物語》で植物に変身する神々や人間を描いた。スイセンに変身したナルキッソスの話などは広く知られている。同時に,これらの逸話をもとにした〈花言葉〉も成立して,人々の話題に供されるようになった。また,今日用いられるアンソロジー(詞華集)の語源はギリシア語のanthologia(〈集華〉の意)である。美術においては,エジプトのロータス形やパピルス形の柱頭,ギリシアのスイカズラ模様(アンテミオン),アカンサスの葉飾り柱頭など,花や葉の装飾様式が古代に創始された。また花瓶に花を活ける盛花はエジプトに始まり,古代地中海世界に広まった。中世に一時衰えたが,花壇や花園が都市に設置される17世紀ごろから盛り返し,ギリシア文化の再興をめざした新古典主義や日本のいけばなの影響を通じて,今日では日常生活に定着している。花を主題とする絵画もギリシアに芽吹いたといわれる。17世紀にはオランダで静物画が発展し,花が春をあらわす寓意として使われたほか,葉に露を置いた図像表現には生命のはかなさ(ウァニタスvanitas)の寓意が込められた。また,花だけを描く絵画がこの時代に盛んになり,18世紀に至ってもロマン派の画家が自然と有機物の象徴としてこれを好んで取りあげた。画面いっぱいに描かれた一輪の花には,大宇宙(マクロコスモス)に対する小宇宙(ミクロコスモス=人間)の尊厳が表現されている。また18世紀以降,博物学の発展にしたがって精密で美しい花の図譜も制作され始め,19世紀にはルドゥーテPierre-Joseph Redouté(1759-1840)のような花専門の画家も登場した。19世紀末には,花に自然観や情念を重ね合わせる象徴的な絵画がいっそう発展し,モネの《睡蓮(すいれん)》やゴッホの《ひまわり》などが生まれている。

 以上のように,花は古くから人間を魅了してきたが,花に対する関心が停滞した時期もあり,ヨーロッパ中世がその代表である。これはキリスト教の支配下における封建体制の閉鎖性と無関係でなく,自然への好奇心も全般的に低下した。花についても,キリスト教図像学に採用された象徴的な花が人々の関心の中心になりがちで,自然の花への興味は高まらなかった。わずかに修道院や薬草園などで,実用的目的から花が栽培されたにすぎない。ようやく近世に至り,探検航海の結果もたらされた世界の珍しい花々を栽培するという新たな状況がおとずれ,花の文化は本草医学的なものから完全に切り離されて,都会的な趣味の世界へ移行した。17世紀のチューリップ熱をはじめ,バラ,ラン,ユリに対する熱狂は,しばしば花に〈虚栄〉や〈華美〉といった都会生活のイメージを押しつける結果となった。しかし,同時に植物学的な知見が広まり,花の形態差を分類の基準としたわかりやすいリンネ植物学の普及を直接の引金として,花が再び一般の関心をひくようになった。17世紀以降はライデン,ロンドン,パリなど主要都市に私有の花園が生まれ,世界中の花が栽培されるようになった。これに伴い,花を美しいもの,かれんなものとみる以外の見解も現れた。例えば,花に種子を実らせる生殖機能を認めたり,品種改良された美麗で珍奇な花を奇形として毛嫌いする反応などである。前者の例に,F.ベーコンの〈人間は逆立ちした植物である〉(《ノウム・オルガヌム》)という発言,後者の例に野の花を心の慰めとしたJ.J.ルソーのロマンティックな心情がある。しかし,花に慰めを見いだしたのはルソーばかりでなく,17世紀にフロンドの乱で捕らえられた政治犯たちも,バスティーユカーネーションを栽培し楽しみを得たという。カーネーションはフランス革命のときにも,捕囚のマリー・アントアネットらに慰めの花として贈られた。ところで,19世紀には花に対する新たな見方として,G.T.フェヒナーの《ナンナ--植物の精神生活》(1848)が出された。彼の主張は,植物にも人間と同じ魂と思考力があるというもので,アニミズムの伝統やアッシジのフランチェスコが説いた平等主義(一輪の花も人間も被造物として平等であるとする教え)に通じる。現在では科学的方法を用いて花と対話する試みや,スコットランドの有機農法共同体〈フィンホンFind horn〉のように花との共同生活を行う人々も現れている。なお,〈花言葉〉〈花暦〉〈花時計〉などの項目もあわせて参照されたい。
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日本語では〈はな〉は草木の〈花〉だけではない。広くものの先端を意味し,〈端〉も〈鼻〉も〈はな〉である。〈ほ(穂)〉とか〈うら(末,梢,占)〉も類似の言葉で,稲の先に現れる穂,樹木の枝先の梢(こずえ),ものごとの前兆もすべて〈ものの先端〉としての〈はな〉であり,それをみる人の気持ちは草木の花に通じるものがあった。8月23日の一遍の忌日に,時宗では薄(すすき)念仏を行う。笹竹(ささだけ)にススキ1束を結んで名号軸を掛け,周囲で踊念仏をする。瀬戸内には葬式をすませた日の晩,死者の寝ていた部屋にススキを立て,念仏する島がある。ススキは霊魂の依代(よりしろ)の役をしている。《日本書紀》では神功(じんぐう)皇后に神がかりして出現した神が〈幡荻(はだすすき)穂に出し吾(われ)〉と名のっている。ススキの穂が出るように現れたというもので,〈はな〉もこの〈ほ〉と同じように,そこに神霊や霊魂が出現する〈ものの先端〉であった。そのような〈はな〉は,草木の花よりもむしろ常緑樹の枝であるほうが本来の形とみられている。

 いけばなというと色とりどりの生花をいけるように思われるが,正月の床飾や仏壇の供花(くげ)は常緑樹の枝を中心に花があしらわれる。こういう形の立花(りつか)をもって格式ある〈はな〉とみる感覚は,いまも濃く伝承されている。高野参詣(こうやさんけい)の帰りにはマキ(槙)の枝をいただいてくる。熊野はナギ(梛),三輪や稲荷は杉,愛宕(あたご)はシキミ(樒)である。これらの枝はそれぞれの地から神霊を奉安して帰るしるしであった。そのような〈はな〉をいけて神霊をまつるのが,いけばなのそもそもの趣旨であった。松はその枝に神の示現を〈待つ〉木といい,〈さかき〉は〈栄木〉で常緑の姿をたたえた名である。いまはサカキ(榊)を〈さかき〉とするが,古くはシキミも〈さかき〉と呼ばれた。これは葉に香気があるため香柴,香の花,花柴,花枝,花榊などと書き,神事にも仏事にも使われた。峠の名に花立峠,花折峠,柴立峠というのがあるが,ここを越すものが〈さかき〉であるシキミやサカキの枝を〈はな〉として路傍に立て,道中の平安を祈ったのでこの名がついたという。

 また奈良薬師寺の花会式(はなえしき)や東大寺の御水取など,古式の法会には,しばしば造花が用いられる。もとは〈削りかけ〉とか〈削り花〉と呼ばれるもので,木の枝の表面を小刀で薄く削りかけると,枝の先にちぢれた薄片が花びらのようにつく。これを神霊の依代にしたのが初めらしく,アイヌのイナウがその古形をとどめている。この削りかけがもとになって棒の先に紙の御幣をつけた玉串(たまぐし)と,造花がつくられるようになった。その造花は平安時代のころは絹を材料にし,のちにはさまざまな色に染めた紙を使うようになった。ミズキなどの枝に花が咲いたように小さな餅をつける餅花も,神霊の依代であり,吉兆笹はその変形である。法会の席に摘んだ花や花弁をまく散華の風は仏教がもたらしたが,あまり一般化していない。花びらの代りにシキミの葉をまくことがあるほか,花はちぎらないで自然のままに立てて供えるのが普通で,花を立てて神霊を迎えた古来の作法がよく守られている。苗代の水口にツツジなど季節の花をさすのは,農耕の開始にあたって田の神を迎えるしるしである。陰暦4月8日に竹ざおの先に山から採ってきた花をつけ,家の門口に高く掲げる風は〈卯月(うづき)八日の天道花(てんとうばな)〉と呼ばれる。この日は山遊びといって近くの山に登り,ツツジの花などを採ってくる。その役にたずさわるのは,しばしば娘たちであった。それは一種の成女式で,天道花は稲作開始の時期に田の神を山から家に迎える行事であると同時に,その家に成人した娘のあることを示すしるしであったという。こうして後世には,山から採ってくるものは花になったが,そのもとの形は先に述べたように常緑樹の枝としての〈はな〉であった。日本人は西洋のように花を気安く他人に贈る習慣をもたなかった。花は神前や仏前に供えるものであったから,西洋風に花を贈るようになったとき,老人の中には,これを忌避するものが多かった。とくに病人に花を贈るのは仏さま扱いで葬式のようだといい,鉢植えの花は〈根付き〉だから〈寝付く〉といっていやがり,庭の中心部に花の咲く木は植えないなど花をめぐる禁忌は多い。その背後には前記の伝統的な宗教意識が深くかかわっており,花は気軽に取り扱えないたいせつなものであったことが知られる。
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日本人が花を愛するというその理由については,かつては,日本の自然景観が世界でいちばん美しいため,また,日本人が国民性として四季おりおりの草木自然を酷愛する先天的素質をうけているため,との説明が広く支持されていた。そしてまた,さらに,日本人が花との深く長いつきあいをつづけてきた根底には,古代農耕民が花の咲き方をみて,1年の稲作の実りぐあいを占ったり祈願したりした民族心理や民間習俗が継承されているとの説明が広く承認されていた。

 第1の,日本人は花好きの国民性を有するとする見方も,第2の,日本人は農業生産に直接的にかかわる呪法=生活技術として花に無関心でいられなかったとする見方も,ある程度まで妥当性を主張しうるであろう。しかし,この論法で一から十まで押し切ることには無理が生じる。第1の見方が正しいといいきれない証拠に,環境破壊問題が世界的世論として取り上げられる以前にあっては,日本列島の住民は自分たちが自然を傷めつけているなどとは気づかなかった。〈草木を愛し自然を喜ぶ〉国民性をうけているという〈公理〉が誤っていることは,もはや明白である。第2の見方が正しいといいきれない証拠に,江戸末期の紀行家・本草学者である菅江真澄の北海道旅行日記《蝦夷喧辞弁(えみしのさえき)》(1789)に,桜花の咲くのを吉兆として喜ぶ農民が存在する一方には,これを凶兆として迷惑がる漁民も存在したことがみられるから,花そのものに何か絶対的なシンボルが仮託されたと決めてかかる考え方は誤りとせねばならない。初めから,花それ自身には意味上の〈実体〉など何一つあろうはずもなく,すべては〈関係〉によって相対的に定められるにすぎない。

 日本人が,花をどのように考え,花をどのように愛惜し,花をどのように取り扱ったか,という問題を解くにあたっても,各時代ごとに各社会ごとに異なる〈関係把握〉を怠ってはならない。そうでないと,日本人の〈花の見かた〉に不変の鋳型があるかのごとき在来の旧説を無反省に復唱するだけとなる。

 まず古代人の〈花の見かた〉から知っておきたいが,折口信夫の所説(《古代研究・民俗学篇》)にみえる〈奈良朝時代に,花を鑑賞する態度は,支那の詩文から教へられたのである〉という指摘それ自体はあくまで正しい。例えば,日本古典にウメが初登場するのは《懐風藻》においてであるが,これは中国の類書にみえる詩の表現を換骨奪胎して作りあげたものでしかなく,むしろ,このような中国の類書を下敷きにした作詩法をつうじて〈花の見かた〉そのものを学習したというのが真実相であろう。

 また,モモが幽冥界の鬼を追っ払うほどの呪力(じゆりよく)をもつとされたり(《古事記》上巻),ハチスの花が美女および恋愛を連想させたり(《古事記》下巻),キクが宮廷特権階級の地位保全を約束するユートピアの花として信仰されたり(《懐風藻》長屋王作品ほか),ヤナギの枝が死者との交霊や農業予祝儀礼のための祭祀用具に用いられたり(《万葉集》),タケが呪具=祭具として用いられたほか,皇子・大宮人の枕詞として使われたりする(《万葉集》)。これらには,いちいち確実な典拠が中国古典に載っている。中国から舶載された〈渡来植物〉だけでなく,ツバキ(椿),ハギ(萩),カエデ(楓)など国訓による植物までもがそれらを権威づける典拠を中国古典に求めている。つまり,ツバキやカエデなどの神話的シンボルのほうだけを頂戴(ちようだい)し,手近な日本産植物をあてて代用しておいたのである。これがのちに混乱をきたす原因になるのだが,古代律令官人貴族たちが徹底的に先進中国文化を模倣=学習した努力の跡を評価しないわけにはいかない。

 中国の古代儒教の世界認識の枠組みを直輸入し,宮廷儀礼や農政指導のレベルで忠実に模倣=再生産してみせたのが,日本律令文人官僚貴族らであった。かれら律令支配階級は,文化らしい文化を持たなかった日本列島住民に対して,自然の見方(当然〈花の見かた〉をも含む)から啓蒙していった。また,日本列島住民のほうは,専制支配者が一方交通的に送ってよこす天文,歳時,動植物の文化記号を解読することをもって,自然愛,草木愛としてきた。古代儒教を唯一の規範的枠組みとするかぎり,草1本,花1輪を諷詠することは,帝王の偉大なる聖徳を礼賛することと同一の行為であることを意味した。

 平安時代初期には,嵯峨帝宮廷文化の〈唐風崇拝〉の影響もあり,ますます〈花の見かた〉は中国古典を規範に仰ぐ傾向にあったが,中期以降,いわゆる〈国風文化〉の創出がみられるようになると,少しずつ古代儒教パラダイムから抜けだすに至る。しかし,華やかな平安王朝文化全体を客観化=相対化して検討を加えてみるとき,《古今和歌集》を筆頭とする和歌文学から日記,随筆,物語を包含する女流文学に至るまで,さらには屛風絵,絵巻,寺院建築など造形芸術に至るまで,いまだなお中国文化の規範が強い作用力をもちつづけていたことは否定しがたい。真に〈日本的なるもの〉が創造されるためには,中世を迎え,新興庶民階級が歴史のひのき舞台に駆けあがるのを待たねばならなかった。

 〈花の見かた〉に即して考えるのに,中世農民たちは自力で灌漑技術の改良や荒蕪地(こうぶち)開墾を押し進めていくあいだ,草木の形状や生態に注意を向けるようになり,ついには花の園芸品種を開発するまでになった。その代表例がサトザクラの開発であった。あの美しい肉厚の八重桜は,関東農民が自力で開発した園芸品種であるというのであるが,同時代の教養人である兼好法師の目には不快に写ったらしく,《徒然草》は〈花はひとへなる,よし。八重桜は奈良の都にのみありけるを,この比(ごろ)ぞ,世に多く成り侍るなる〉(第百三十九段)と非難している。もっとも,兼好は〈すべて,月・花をば,さのみ目にて見るものかは〉(第百三十七段)と述べて,花を網膜で見るのでなしに,観念的幻想のなかで思い描くのが貴族の〈花の見かた〉であると断定する。花を愛さずに〈花の見かた〉に陶酔する美学をもって,日本的感性の最高境地だなどと呼んでよいかどうか,古典への尊敬の念とは別に,新たに疑問を提起する必要があると思われる。

 守旧派教養人や〈王朝思慕〉の貴族インテリが痛罵(つうば)を浴びせたにもかかわらず,いわゆる〈下剋上の芸術〉がつぎつぎにひとり歩きを果たし,そのなかに〈たてはな〉(古立花)の自立がみられた。〈たてはな〉は,まもなく室町期,戦国期ごろに感覚的,現実的,国際的,合理主義的な思想形成を遂げるに至った。その基礎条件に,豊富多様な美しい花々を咲かせる園芸技術の進歩に力を尽くした農民階級の支えがあったことをも,見落とさないようにしたい。実際に,ラン,オモト,スイセンなどの品種開発が行われた事実を文献的に証明することができるのである。

 近世に入ると,江戸,京都,大坂などの都市居住の庶民階級のあいだに広規模な〈園芸ブーム〉が現出する。ウメ,サクラ,キク,モミジ,ツバキの改良品種は実に数百種も創出された。その際,重要なことは,さして学問の素養もない民衆が外界事実を正しく観察し,自分自身の感覚や思考や知識を駆使した点である。新井白石の談話筆録《紳書(しんしよ)》(1725年以前成立)をみると,〈己亥(享保4年)春三月に聞く,長崎伊予守元仲の従者に高田勘四郎と云もの,京師彼やしきの庭際にうへ置(おき)し色色の菊ども,其苗をうつし栽(うえ)る事をわすれて,初(はじめ)に植(うえ)しままにて,三年の後に花の開きしを見しに,種々の花皆々黄色なる花と成たり,是をおもふに,是はもと黄なるものなるを,人の力にて種々のかわりも出来しにやといふ也,此者元来無学のものにて,菊は黄色を正色とするなど云事(いふこと)を知れるにもあらず,ただただその見る所に拠りて,いひし所也,尤(もつとも)以て奇妙と云べし〉とあり,無名の民衆が自分一個の観察=経験から出発し,そこに植物栽培の知的よろこびを見出した新時代の思潮が確認される。ここには,かの古代律令貴族たちが中国詩文的教養のみをレンズとして植物をのぞき込んだ精神的姿勢は,もはやまったく払拭されている。すでに完全に近代民衆に独自の〈花の見かた〉が闊歩(かつぽ)しはじめている。

 このようにみてくると,これまで久しく通説としてきたような伝統的日本の〈花の美学〉とか〈花の思想〉とかの通時的形態には実体など何もなく,各時代各社会の運動過程のなかで〈関係的〉につくりだされるものにすぎないものだということが,わかってくる。万葉,古今など古典から無差別に作品を引用してきて,これこそが日本人に伝統的な〈花の見かた〉であるといった式の議論には,どこかに落し穴があるとみてよい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花」の意味・わかりやすい解説


はな

シダ植物の花

ツクシはスギナの花で、胞子嚢をつける胞子嚢托(たく)が輪生し、それが数輪、穂状に集まったものである。また、クラマゴケでは、上面の基部に胞子嚢をつけた小葉が集まって穂をつくるが、胞子嚢は雌性の大胞子嚢と雄性の小胞子嚢とに分化し、それらをつける小葉は一つの穂に混じってつく。

[田村道夫]

裸子植物の花

裸子植物では、雌性の大胞子嚢は珠皮に包まれて胚珠(はいしゅ)となり、雄性の小胞子嚢は花粉嚢となる。

[田村道夫]

ソテツ綱・イチョウ綱

ソテツ綱では、花粉嚢は小胞子葉の上面に3~4個ずつ集まって全面につき、胚珠は大胞子葉の下部の縁(へり)につく。小胞子葉は穂状に密集して雄花となり、大胞子葉は茎頂に緩く集まって雌花をつくる。イチョウ綱では、花粉嚢は2個ずつ小胞子嚢托につき、それが穂状に集まって雄花となる。胚珠は2個が対(つい)になって大胞子嚢托につくが、それの上端部は広がって椀(わん)状となり、胚珠の基部を取り囲む。この椀状部は、まれに伸び広がって葉状になることがある(これを「お葉付きイチョウ」とよぶ)。このことから、椀状部は退化した大胞子葉と解釈されることもある。

[田村道夫]

球果綱

球果綱(マツ綱)では、普通、いくつかの花粉嚢が鱗片(りんぺん)の下面につき、それが軸に穂状に集まって雄花となる。球果綱を通じて、雄花の基本構造はほぼ一様とみなすことができるが、雌花はきわめて多様である。多くは鱗片の上面に胚珠をつけるが、これが軸に穂状に集まってつき、球花をつくる。スギ科などでは、胚珠をつけている鱗片は単純であるが、マツ科などでは、その下にもう1枚の鱗片があって二重構造となっている。進化のうえからみると、球果は、本来はもっと複雑な構造をもっていたもので、古生代石炭紀に栄えたコルダイテスでは、球花の軸に包(包葉)がつき、それの腋(えき)より伸びた枝に葉と胚珠がついていた。やがて、包より腋生する枝が退化し、全体が穂としてのまとまりが強くなる方向に進化していったとみなされている。したがって、現生の植物でも、マツのように球花の鱗片が二重になっているものは原始的で、下の鱗片は包、胚珠をつける上の鱗片は退化した枝またはそれに属するものと考えられる。そして、スギのように一重のものは、その2枚が合着したものとみなされる。球花をつくる鱗片の数は、さらに減少する方向に進化し、イヌマキ科では胚珠をつける鱗片1枚で1個の球花をつくるに至っている。

[田村道夫]

グネツム綱

グネツム綱では、雄花も雌花も若いときは、膜質の花被(かひ)に包まれる。マオウ属の雄花穂では、軸に2~8対の包が対生し、包の腋に雄花をつける。雄花は1対の花被と、それに覆われた1~8個の花粉嚢をつける小胞子嚢托よりなる。雌花穂には4~7対の対生する包があり、雌花は上部の1~2枚の包の腋につき、花被に包まれた1個の胚珠である。ウェルウィッチア属の雄花穂と雌花穂では、多数の包を対生し、その腋にそれぞれ雄花と雌花をつける。雄花は基部に1対の小包をもち、花被の中に3個の花粉嚢をつける小胞子嚢托を6本輪生し、中央には機能のない胚珠がある。雌花も基部に1対の小包があり、花被に包まれた1個の胚珠よりなる。グネツム属の雄花穂では、輪生した包が合着して数段の輪状の鞘(しょう)をつくり、その腋に輪生する雄花を少数輪つける(いちばん上に機能のない雌花の輪をつける種もある)。雄花は袋状の花被に包まれ、2~4個の花粉嚢をつける1本の小胞子嚢托である。雌花穂では、鞘の腋に1輪の雌花を生じ、雌花は2枚の花被に包まれた1個の胚珠よりなる。

[田村道夫]

被子植物の花

被子植物の花を裸子植物の花のいずれかと直接的に関係づけることは困難である。しかし、被子植物の花は、いかに多様であっても、それらの間に相同性を認めることができる。被子植物の花は裸子植物の花と違って、本来、雌性器官と雄性器官をもち、それに胚珠や花粉嚢をつけない花被をもった両性の複合器官である。すなわち、被子植物の花は、花床(かしょう)に下から上へと花被、雄蕊(ゆうずい)群、雌蕊(しずい)群をつけたのが基本的な形である。また、被子植物の花は一種のシュート(苗条)、すなわち、茎に葉のついた構造と考えられ、花床という茎的器官に、花被片(または萼片(がくへん)と花弁)、雄蕊(雄しべ)、および雌蕊(雌しべ)をつくっている心皮(しんぴ)といった葉的器官がついたものとみなされる。花をつくっている葉的器官を花器官または花葉(かよう)という。したがって、シュートとしての性質をよく保っている花は原始的なものとみなされるわけである。

[田村道夫]

同花被花・異花被花

被子植物の花は、本来、同質の花被片よりなる花被をもつ同花被花であるが、進化した状態では花被は内外2輪よりなる。外輪はつぼみのとき内部を保護する萼となり、内輪は昆虫誘引のために発達して花冠となる。萼は萼片よりなり、花冠は花弁よりなる。このように、萼と花冠をもった花を異花被花という。同花被花でも花被片は昆虫誘引のために発達することが多いが、ヤマモモ科、クルミ科、ブナ科、イラクサ科などのように、退化して目だたなくなる場合もある。このような花被をもつ花は無花弁花とよばれる。さらに、ドクダミ科、センリョウ科、ヤマグルマ科などのように花被をもたないものもあり、これは無花被花とよばれる。無花弁花や無花被花は、同花被花から退化によって生じたとする説があり、この退化は風媒(ふうばい)と関係づけられることが多い。しかし、一方では、これらの花を裸子植物の花と関係づけ、原始的な形態とみなす説もあるし、これらの花と発達した花被をもつ花とは、起源を異にすると考える説も出されている。

[田村道夫]

両性花・単性花

被子植物の花は、本来、雄蕊と雌蕊とをもつ両性花であるが、なかには、どちらか一方しかもたない単性花(雌雄異花)もある。しかし、被子植物の単性花は裸子植物の場合とは異なって二次的なものといえる。すなわち、両性花から雌蕊が退化すれば雄花、雄蕊が退化すれば雌花となる。したがって、アケビ科、ウリ科などでは、雌花に退化した雄蕊があったり、雄花に退化した雌蕊のある場合が少なくない。アケビ、キュウリなどのように雌花と雄花が一つの個体につく場合を雌雄同株、アサ、ホウレンソウ、スイバ、クワ科、ヤナギ科、ヤマモモ科などのように雌花と雄花が別な個体につく場合を雌雄異株という。また、カエデ属、トネリコ属、シュロソウ属などでは、しばしば両性花と単性花とをもつものがみられる。これを雑居性という。

[田村道夫]

相称面

花には、多くの場合、中心を通ったいくつかの相称面がある。二つ以上の相称面をもつ場合を放射相称という。アブラナ科にしばしばみられるような二つの相称面をもつ場合を二放射相称とよぶこともある。相称面が一つの場合を左右相称という。一般に花の相称面が減少することは進化と考えられている。トリカブト属、ヒエンソウ属などの花では花被だけの左右相称であるが、マメ科、シソ科、ゴマノハグサ科、タヌキモ科、ラン科などでは花全体が左右相称となる。また、放射面をもたない場合を不相称という。不相称は、サラシナショウマ属の例にみるように、花の構成の退化と関連することが多い。

[田村道夫]

花要素の数

花を構成している花要素の数は一般に不定・多数から一定・少数へと進化すると考えられる。しかし、おびただしい数になる場合は、二次的な増数とみなされることもある。花要素の数が多ければ螺旋(らせん)に配列することが多いが、少なくなれば輪生し、かつ、3数、4数、5数などに定数化するようになる。定数化は萼片、花弁から雄蕊、心皮に及び、花要素全体を通じて確立する。双子葉植物では5数性の花が多く、単子葉植物には3数性の花が多い。輪生と定数化が確立した場合、雄蕊は2輪になり、さらに減輪して1輪になる。雄蕊が2輪である場合には、カキ科、アカテツ科などにみられるように、外輪が花弁または花冠裂片と互生するものと、イチヤクソウ科、ツツジ科などにみられるように外輪がそれらと対生するものとがある。また、1輪である場合にも、ツツジ科やイワウメ科などにみられるように、花弁や花冠裂片と互生するものと、サクラソウ科やイソマツ科にみられるように、それらと対生するものとがある。

 花要素を葉的器官であると考えると、離生しているのが本来であり、合着しているのは進化した状態といえる。花要素の合着には、同じ種類の花要素間の同類合着と、異なった花要素間の異類合着とがある。異類合着には、シソ科などにみられる花冠と雄蕊の合着や、センリョウ科、ラン科などにみられる雄蕊と雌蕊との合着などがある。同類合着では花弁の合着が古くから注目され、双子葉植物はしばしば離弁花類と合弁花類に二分される。しかし、離弁花と合弁花は系統の違いを示すのではなく、進化の程度を示す特徴である。また、心皮が離生しているか合着しているかも進化の程度を示す重要な特徴である。離生心皮花では心皮の数だけの雌蕊があるが、合生心皮花では心皮の数にかかわらず雌蕊は1個で、花の中央、すなわち花床の頂端に位置する。

[田村道夫]

子房の下位化

被子植物の花におけるもっとも重要な進化として、子房の下位化がある。心皮はいちばんあとに形成される花要素であるため、原始的な花では、雌蕊は他の花要素の上に位置して子房上位花となる。しかし、進化に伴って、花床がへこんだり萼筒が形成されて子房を取り巻き、花弁や雄蕊が子房と同じくらいの高さにつくと子房中位(周位)花となる。さらに、花床や萼筒が子房を包むようになると、花弁や雄蕊のつく位置は子房より上になり、子房下位花となる。子房の下位化は胚珠の保護の強化のためであり、しばしば子房を包んだ花床が果実の形成に参加して偽果(ぎか)となる。

[田村道夫]

送粉法

裸子植物では、花粉は風によって運ばれて胚珠につく風媒花である。一方、被子植物では、花粉が昆虫によって他の花の柱頭に運ばれる虫媒花が本来であり、風媒花は花の退化に伴って由来した二次的なものとみなすという意見が強い。しかし、被子植物でも風媒を本来の送粉法であるとして、裸子植物と関係づけようとする意見もある。鳥媒花やこうもり媒花は虫媒花の変形で、とくに大形の花をつける熱帯性植物によくみられる。水中で開花する水草は水媒花である。

[田村道夫]

花の文化史

花と人のかかわりは、花粉分析、遺物、彫刻、絵画、文献などの直接的証拠のほか、神話、伝説、物語、語源、民族間の植物利用の比較などから知ることができる。

 人類最古の花利用は、6万年前の旧石器時代にさかのぼり、イラク北部のシャニダールの洞窟(どうくつ)に埋葬されたネアンデルタール人に、ヤグルマギクの1種Centaurea solstitialis、ノコギリソウ属Achillea、セネシオ(キオン)属Senecio、ムスカリ属Muscari、タチアオイ属Althaeaなどの花が手向けられていたことが、花粉分析から明らかにされている。

 古代のエジプトではスイレンが神へ献花された。新王国時代のテーベの壁画には中庭の池のスイレンが描かれるが、これは記録に残る最古の栽培花である。ツタンカーメンの墓からはヤグルマギクの花輪が発見され、ほかにもヒナゲシやベニバナなどが古代のエジプト王の墓に残されていた。異国の花への関心は古く、トゥトメス3世は紀元前1450年ごろシリア遠征の記念に、その地のザクロやサトイモ科をはじめ275もの植物をカルナックの神殿に刻んだ。ツタンカーメンの副葬品にザクロをかたどった香膏(こうこう)用スプーンがあり、写実の正確さにおいて植物を意匠する最古最高の芸術品の一つといえよう。クレタのミノア文明にはマドンナリリーの壁画やサフランを描いた壺(つぼ)がある。

 ギリシア神話にはキンセンカ、スイセン、アネモネ、スミレなどの花々が登場する。古代のギリシア人は花冠や花輪を儀式に使った。それらはマドンナリリー、スイセン、ニオイスミレ、アネモネ、イブキジャコウソウの類、マヨナラ、ギンバイカなどでつくられ、栽培下にあった(テオフラストス『植物の探究』(前3世紀)ほか)。ディオスコリデスの『薬物誌』De materia medica(1世紀)には、多肉植物のアエオニウムの1種Aeonium arborēumの栽培が記述されている。

 花は宗教とも関係が深い。聖書に飾られた花は出てこないが、マドンナリリーは聖母マリアの花として、中世の宗教絵画には数多く描かれた。インドではヒンドゥーの神話にハスが登場し、仏教でもハスは聖花である。ほかにも仏典にはアショカ、デイコ、キンコウボク、ザクロ、マツリカ、キョウチクトウをはじめ多数の花が顔を出す。

 中国の花は周代の『詩経』にシャクヤク、ハス、ランが、『礼記(らいき)』(前1世紀)にキクやランが載るが、花を観賞するよりは薬用としての面が強かった。唐代に至って花卉(かき)園芸は発達を遂げ、姚(よう)氏は『西渓叢話(そうわ)』で花卉30種を客に例えてあげた。それらは牡丹(ぼたん)(貴客)、梅(酒客)、蘭(らん)(幽客)、桃(妖(よう)客)、杏(あんず)(艶(えん)客)、蓮(はす)(渓客)、木犀(もくせい)(岩客)、海棠(かいどう)(蜀(しょく)客)、躑躅(つつじ)(山客)、梨(なし)(淡客)、菊(寿客)、木芙蓉(きふよう)(酔客)、蝋梅(ろうばい)(寒客)、丁香(ライラック、情客)、玫瑰(まいかい)(バラ、刺客)、木槿(むくげ)(時客)、安石榴(ざくろ)(村客)などで、ほとんどが花木である。

 日本では『古事記』『日本書紀』にそれぞれ約80種、あわせておよそ100種の植物がみられるが、そのなかで花や実の美しい植物は、ユリ、サクラ、ツバキ、ナシ、フジ、ヒオウギ、ホオズキ、ハス、外来のタチバナ、スモモ、ニワウメ、フジバカマと8分の1ほどにすぎない。ところが『万葉集』では、名のあがる160余りの植物のうち、花の美しい草木は44種に増える。当時、人家で栽培されていた花は草花より花木が圧倒的に多かった。日本自生の花木にはヤマブキ、アセビ、ハギ、ツバキ、フジ、サクラ、ナシ、ウツギ、アジサイ、センダン、ネムノキ、ツツジ、草花にはナデシコ、ユリ、ハス、渡来種の花木としてウメ、モモ、スモモ、ニワウメ、タチバナ、草花にカラアイ(ケイトウ)、クレナイ(ベニバナ)があり、ほかにマツ、タケ、カエデ、中国産のシダレヤナギやカラタチなども栽培されていた。ウツギは生け垣として使われているが、これは世界的にみて早い。『万葉集』には、室内で飾られた花はユリの蘰(かずら)(4086、4087)を除いてない。『万葉集』には「白露の置かまく惜しみ秋萩(はぎ)を折りのみ折りて置きや枯らさむ」(2099)と詠まれているように、当時は花を手折っても、そのまま眺めるか挿頭華(かざし)や蘰にして飾り、室内で花をいける習慣はなかったとみられる。いけ花のもっとも古い記録は仏への供華(くげ)で、『東大寺要録』に載る752年(天平勝宝4)4月10日、元興(がんごう)寺から送られた「東の山辺をきよみ邇井々(にいい)せる盧舎那(るしゃな)仏に花たてまつる」の記述である。いけ花は、『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』をはじめとする平安文学には、サクラ、リンドウなど少数を除いて、ほとんど登場しない。盛んになるのは室町時代以降である。

 日本の花卉園芸は江戸時代に入って急速な発展を遂げた。それらは水野元勝(もとかつ)(生没年不詳)の『花壇綱目』(1681)、貝原益軒の『花譜』(1694)および代々の伊藤伊兵衛による『花壇地錦抄(ちきんしょう)』(1695)をはじめとする一連の地錦抄シリーズに跡をとどめる。種類別には安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)の『百椿(ひゃくちん)集』(1630)、伊藤伊兵衛三之丞(さんのじょう)(?―1719)のツツジ類の『錦繍枕(きんしゅうまくら)』(1692)、山村遊園のボタンの『紫陽(しよう)三月記』(1691)以降、カエデ、キク、サクラ、アサガオ、ウメ、ハス、ハナショウブなどの図集が次々と刊行された。さらにサクラソウ、ナデシコ、ミヤマウズラ、ミスミソウ、フクジュソウ、セッコク、マンリョウやカラタチバナ、マツバラン、オモトなど日本固有の草花を中心とする品種改良が流行した。それらは庶民も加わった点で、当時世界に類の少ない花文化であったといえよう。なかでも斑(ふ)入りや観葉植物の観賞も世界に先駆け、繁亭金太(はんていきんた)(1793―1862)の『草木奇品家雅見(かがみ)』(1827)や水野忠暁(ただとし)(1767―1834)の『草木錦葉集』(1829)に集大成された。

 いけ花、盆栽、生け垣、造園など日本の植物芸術は明治以降も発展し、現代はそれにフラワー・デザインの分野も加わり、日本の花文化を形成している。

[湯浅浩史]

民俗

花の色、香、形に対する関心は人類に共通のもので、さまざまな習俗に投影している。神話・伝説をはじめ、信仰儀礼、年中行事、贈答、花言葉、国花、占いなどに用いられる。日本では『万葉集』のころまでは、単に花といえば梅の花をさす例が多く、『古今集』の時代になると桜が勢力を増してくる。色鮮やかな花は仏教に結び付いている場合が多いように見受けられる。民族によっても、時代によっても、人気のある花は変化するものである。

 年中行事を中心に、花の登場する場面を拾い上げてみる。まず、花ではないが正月用の門松迎えを花迎えとよぶ地方がある。小正月(こしょうがつ)の削り花は、木の枝につけて豊作を予祝する呪術(じゅじゅつ)であるが、花飾り、花正月、花かき節供などといい、小正月から月末までを花の内とよぶ地方もある。旧暦3月ごろの花見は広く行われており、そのころから春の農作業にとりかかるので、特定の花の咲きぐあいによって、各作業を始める時期の目安にしている。旧暦(現在では多くは太陽暦)4月8日の灌仏会(かんぶつえ)は花祭ともいい、御堂(みどう)の屋根を花で葺(ふ)くことが知られているが、ほかにも同日に長い竿(さお)の先に花をつけて掲げる高花(たかはな)・天道花(てんとうばな)の習俗がある。盆にはオミナエシなどの盆花迎えがあって、その花を売る盆市(いち)を花市ともいう。春の七草は野草が中心であるが、秋の七草は野花でまとめている。紋章にも花をあしらったものがあり、皇室は菊の花を用いている。華道は仏教を背景として、日本人の美意識を芸道に高めた。

[井之口章次]

文学

草木の花の総称、あるいは花鳥風月、雪月花、花鳥、花月、花紅葉(はなもみじ)など自然美の代表的な景物としての花を概念化した呼称。また、『八雲御抄(やくもみしょう)』(13世紀)に「近代はただ花と云(い)ふは皆桜也(なり)」というように、のちには桜など典型的な花を限定していうようにもなった。『万葉集』に「青丹(あをに)よし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」(巻3・小野老(おゆ))とあるように華やかさを象徴する景物であり、「はなやぐ」「はなめく」「はなばなし」「はなやか」など、華美を表現する語にも「花」に関連するものが多い。また、『古事記』上の木花開耶姫(このはなのさくやひめ)のように、美しいがはかないものともされて、さらに、『古今集』「仮名序」の「今の世の中色に付き、人の心花になりにけるにより」のように軽薄さ、『源氏物語』「宿木(やどりぎ)」の「花心におはする宮(匂宮(におうのみや))なれば」のように不実などを表すこともある。歌論で「花」「実」を対照させて用いるが、この場合も、「心」に対する「詞(ことば)」、心情に対する表現の意とともに、虚飾的な語感で用いられることもある。世阿弥(ぜあみ)の能楽論でも、「花」は重要な美的理念であり、『風姿花伝』などで、役者の年齢や力量に応じて表される内面的な魅力、いわば華やぎを意味する術語として用いられており、それは歌舞伎(かぶき)などにも継承されていく。『万葉集』の花としては、「朝顔(桔梗(ききょう)か)・馬酔木(あしび)・菖蒲(あやめ)・卯(う)の花・梅・杜若(かきつばた)・葛(くず)・紅花・桜・薄(すすき)・菫(すみれ)・橘(たちばな)・月草(つきくさ)・躑躅(つつじ)・椿(つばき)・撫子(なでしこ)・萩(はぎ)・藤・紫草・桃・山吹・百合(ゆり)・忘れ草(萱草(かんぞう))・女郎花(をみなへし)」などが多く詠まれ、『古今集』では新たに「菊」などが加わっている。『枕草子(まくらのそうし)』の「木の花は」の段には、「紅梅・桜・藤・橘・梨(なし)・桐(きり)・楝(あふち)」、「草の花は」の段には、「撫子・女郎花・桔梗・朝顔・刈萱(かるかや)・菊・壺(つぼ)菫・竜胆(りんだう)・かまつかの花・かにひ(雁緋)の花・萩・八重山吹・夕顔・しもつけの花・葦(あし)の花・薄」などが取り上げられており、特異なものもあるが、王朝文学にみられる花はここにほぼ網羅されていると考えてよいだろう。『風俗文選(ふうぞくもんぜん)』(1706年刊)の「百花譜」は、「梅・紅梅・桜・海棠(かいだう)・梨・椿・桃・藤・山吹・薔薇(しゃうび)・牡丹(ぼたん)・芍薬(しゃくやく)・罌粟(けし)・杜若・百合・姫百合・合歓(ねむ)・昼顔・紫陽花(あぢさゐ)・卯の花・朝顔・鶏頭(けいとう)・蘭(らん)・鳳仙花(ほうせんくわ)・女郎花・桔梗・萩・菊・寒菊・冬牡丹」などの花を女性に見立てて論じたもので、近世の文学における花の代表的な品種が掲げられている。和歌から俳句に至る詩歌を中心に、日本の文学においてつねに花が題材としてもっとも大きな位置を占めており、花が咲くのを待ち、花が散るのを惜しむ心情を表出することが、自然美を描く文学の中心的な主題であった。

[小町谷照彦]

『浜健夫著『植物形態学』(1958・コロナ社)』『田村道夫著『被子植物の系統』(1974・三省堂)』『田村道夫著『生きている古代植物』(1974・保育社)』『伊藤伊兵衛三之丞・伊藤伊兵衛政武著『花壇地錦抄・増補地錦抄』(1983・八坂書房)』『本田正次監修、山崎敬編『現代生物学大系 高等植物A2』(1984・中山書店)』『塚本洋太郎著『私の花美術館』(1985・朝日新聞社・朝日選書)』『原襄・福田泰二・西野栄正著『植物観察入門――花・茎・葉・根』(1986・培風館)』『中野定雄他訳『プリニウスの博物誌』(1986・雄山閣出版)』『春山行夫著『花の文化史――花の歴史をつくった人々』(2012・日本図書センター)』『湯浅浩史著『花の履歴書』(講談社学術文庫)』


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普及版 字通 「花」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 7画

(旧字)
8画

(異体字)
12画

[字音] カ(クヮ)・ケ
[字訓] はな・はなさく

[説文解字]

[字形] 形声
声符は(化)(か)。正字は(華)に作り、古くは象形字であった。そのを抜きとる形は拜(拝)。もと「拜(ぬ)く」と訓する字で、その右旁が花の象形である。漢・魏以前にはの字がなく、は北魏のとき作られた新字のひとつであろう。

[訓義]
1. はな、はなさく。
2. はなやか、うつくしい。
3. かすむ、もや。

[古辞書の訓]
〔名義抄〕 ハナ・ハナサク・カカヤク・アザヤカナリ 〔字鏡集〕 ハナ・ハナサク・サカユ・アザヤカナリ・アキラカ・カガヤク・ウツハキ・イタル*語彙は華字条参照。

[熟語]
花衣・花音・花陰・花韻・花雨・花雲・花影・花英・花園・花・花下・花魁・花・花顔・花眼・花・花期・花筐・花渓・花径・花月・花言・花戸・花姑・花甲・花紅・花香・花骨・花魂・花釵・花際・花子・花枝・花師・花紙・花字・花時・花事・花実・花・花謝・花酒・花樹・花書・花絮・花匠・花勝・花娘・花場・花燭・花信・花神・花心・花晨・花・花精・花雪・花箋・花牋・花前・花叢・花草・花簇・花村・花朶・花態・花壇・花帳・花蝶・花鳥・花朝・花底・花・花天・花鈿・花殿・花灯・花嫩・花・花婆・花畔・花趺・花風・花片・花辺・花弁・花圃・花舫・花房・花貌・花木・花夢・花霧・花面・花紋・花薬・花余・花容・花落・花裏・花柳・花林・花暦・花臉・花露・花楼・花浪・花縵
[下接語]
雨花・宴花・烟花・煙花・艶花・桜花・鶯花・佳花・開花・浣花・寒花・閑花・眼花・奇花・菊花・宮花・狂花・花・群花・渓花・瓊花・献花・好花・江花・皇花・紅花・香花・国花・山花・散花・残花・衆花・春花・舜花・賞花・燭花・新花・尋花・生花・折花・雪花・叢花・造花・探花・趁花・汀花・庭花・花・花・天花・灯花・桃花・把花・売花・梅花・買花・攀花・万花・晩花・飛花・美花・百花・花・風花・名花・野花・楊花・落花・李花・梨花・籬花・柳花・花・林花・花・露花・弄花・浪花・鏤花

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花」の意味・わかりやすい解説


はな
flower

植物が有性生殖を行うための器官。茎に相当する花軸と,その上につく葉の変態である花葉とから成る。一般的に使われている「花」という言葉は,生殖構造の一部あるいは全体の色と形が特徴的なものに対して用いられる。
花は色,大きさ,形,つくりなどにおいて,ほとんど無限と思えるほどの変化をもっている。ヒナゲシ類,モクレン,チューリップ,ペチュニアなどの花は,比較的大きく,はなやかな色を呈する。シオン,キンギョソウ,カラー,ライラックなどは花が独立しており,それぞれは小さく,房状の花序を形成している。しかし,すべての花には普遍的な機能がある。それはどの花も種子をつくることによって種を再生させるという共通の働きである。花は植物のなかでも最も進化した群の種子植物,あるいは顕花植物と呼ばれるものに特有の構造である。
基本的に花は,生殖に不可欠な器官 (めしべとおしべ) がある花軸と付属器官 (萼片〈がくへん〉と花弁) で構成されている。後者は受粉のための昆虫を誘引するのに役立ったり,生殖器官を保護する働きがある。花軸は茎の変形したもので,葉をつけ,生長する茎とは著しく違って短縮するため,茎の先端である花床部分に花が密集する。花の部分は普通,同心円をつくって輪生に配列されているが,螺旋状に並んでいる場合もある。輪生はおもに4つの部分から成る。 (1) 外側の萼片。 (2) 花弁から成る花冠。 (3) おしべ群。 (4) 中心はめしべ群である。
萼片と花弁は花被を形成する。萼片は緑色であることが多く,小さくなった葉に似ているが,花弁は色鮮かである。しかし,ユリやチューリップなどでは萼片と花弁は区別ができないため,一緒にして花被と呼ばれている。おしべで構成されるおしべ群は花糸と葯 (やく) から成り,花粉を製造する。めしべで構成されるめしべ群は,基部の子房,その上に花柱,先端が柱頭 (この部分で受粉する) になっている。子房の中には種子のもとになる胚珠がある。めしべは,胚珠を保護する葉が変形したものでもある心皮から成る単一のものと,複数の心皮が合わさってできたものがある。
萼片,花冠,おしべ,めしべのすべてをそなえた花を完全花という。しかし,4つの器官のうち萼片か花冠かのいずれかを欠く不完全花も多い。リュウキンカやテッセンのように花弁を欠くもの (花弁状にみえるのは萼片) ,ダリアのように萼片を欠くものなどがある。
おしべとめしべについても同様で,すべての花が両者をそなえた両性花ではない。おしべあるいはめしべのどちらか一方をそなえた花を単性花という。おしべのない花は雌花,めしべのない花は雄花と呼ばれている。雄花と雌花が同一個体上につく場合,その植物を雌雄同株 (球根ベゴニア,ハシバミ,トウモロコシなど) ,別の個体上につく場合は雌雄異株 (ナツメヤシ,ヤナギ類など) と呼ぶ。
バラやペチュニアなどの花は放射状に対称であり,これを整正花あるいは放射相称花という。左右対称の花 (ランやキンギョソウなど) は不整正花あるいは左右相称花という。
生殖には萼も花冠も必要なものではなく,種子の形成に直接かかわるのはおしべとめしべである。おしべの葯から花粉がめしべの柱頭に運ばれたとき受精が行われる。受精後,胚珠全体は種子に,子房は肥大して果実となる。受粉には,同一個体の同じ花の中で行われる自家受粉と,同一種の他の個体からの花粉で行われる他家受粉がある。自家受粉を行う植物は多いが,自家不和合性と呼ばれる構造のため,また同株あるいは同花のめしべとおしべの成熟時期がずれるために,自家受粉を避ける植物が主流である。他家受粉は昆虫や風などの媒介物によって行われる。風媒花は色,香り,花蜜がないのが特徴で,虫媒花はその構造,色,香り,花蜜によって昆虫をひきよせる。
花は世界のほとんどの国で美の象徴とされ,花を贈ることは社会的に好ましい習慣として広く行われている。また,配偶者や家族,友人への愛情の表現として,結婚式などの飾りとして,死者へのはなむけとして,病人への見舞い品として,あるいは感謝のしるしとして贈られる。店先で売られている花は,そのほとんどが商業的に温室で育てられ,卸売業者を通じて花屋に並ぶ。

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百科事典マイペディア 「花」の意味・わかりやすい解説

花【はな】

顕花植物の有性生殖器官。おしべめしべ,これに付随する花葉(花被包葉)の3部から構成される。これらは葉が変化したもので,3部分すべてを備えるものを完全花,どれかを欠くものを不完全花という。これら各部分の数,配列は植物分類学上重視されている。一つの花の中におしべとめしべの両者をもつものを両性花といい,どちらかを欠くか,あっても機能しない場合,単性花という。単性花には雄花と雌花があり,1株に両者がつく場合を雌雄同株,おのおの別の株につく場合を雌雄異株(雌雄別株とも)という。裸子植物では単性花の場合が多く,雌花では胚珠が裸出する。被子植物では胚珠は子房に包まれ,双子葉植物の場合,花の各部分は5まれに4の倍数個となり,花弁が互いに合着する合弁花と合着しない離弁花とがある。単子葉植物は3の倍数個となる。イネ科やカヤツリグサ科では花の退化が著しく,花被片は剛毛状,鱗片状となり,ときにこれを欠くものもある。なお花の形は蝶形(ちょうけい)花(マメ科),唇形(しんけい)花(シソ科)など,植物によって変異が多い。→花序子房
→関連項目生殖器官

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デジタル大辞泉プラス 「花」の解説

花〔唱歌〕

日本の唱歌の題名。作詞:武島羽衣、作曲:滝廉太郎。発表年は1900年。滝廉太郎の組曲「四季」の中の一曲「花盛り」を作詞者の武島が改題して現在の形となる。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定された。

花〔映画:2003年〕

2003年公開の日本映画。監督:西谷真一、原作:金城一紀、脚本:奥寺佐渡子。出演:大沢たかお、牧瀬里穂、西田尚美、加瀬亮、南果歩、柄本明ほか。第58回毎日映画コンクール男優助演賞(柄本明)受賞。

花〔映画:1941年〕

1941年公開の日本映画。監督:吉村公三郎、原作:吉屋信子、脚本:池田忠雄、津路嘉郎、撮影:生方敏夫。出演:田中絹代、原保美、飯田蝶子、上原謙、桑野通子、川崎弘子、吉川満子ほか。

花〔J-POP〕

日本のポピュラー音楽。作詞・作曲と歌は日本のバンド、ORANGE RANGE。2004年発売。同年公開の映画「いま、会いにゆきます」の主題歌に起用。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「花」の解説

花 (ハナ)

植物。シキミ科の常緑小高木・高木,園芸植物,薬用植物。シキミの別称

花 (ハナ)

植物。バラ科サクラ属の落葉高木の総称。サクラの別称

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【祝儀】より

…今日でも,地方の農村などには祝儀不祝儀と称し,祝儀をとくに婚礼およびその祝いの金品の意に用いているところもある(不祝儀は葬式,香奠)が,一般には御祝儀にあずかると称して正規の報酬とは別にその労をねぎらい謝意を表して贈る心付けのことを指す場合が多い。被物(かずけもの),纏頭(てんどう),花ともいう。被物,纏頭は祝儀として与えられた衣装を肩に掛けたり頭に載せたりする作法に由来し,花は物を贈るのに古くは花の枝を添えたことによる。…

【花相撲】より

…本場所以外の相撲興行はすべてを花相撲という。引退相撲,慈善相撲,巡業相撲などがこれに当たり,相撲の勝敗は番付の昇降や給金に関係しない。…

【演劇】より

…このような,社会の他の部分から切り離され閉ざされることによって,高度に象徴機能を集約した特権的でもあり統合的でもある空間は,16世紀末から17世紀にかけてフランスを中心に流行する公開の宮廷バレエの演戯空間にも現れ,同時代の共同幻想を,異教神話の象徴的表現を介して絶対王権の成立へとつなぐ役割をしている。日本でいえば室町期の能舞台は客席張出し型であり,それを囲むように桟敷が組まれたが,その記憶は江戸幕府の式楽となって以来の現行の能舞台にも残っているし,また歌舞伎も,〈悪所〉として常設劇場に囲い込まれた後でも,江戸時代には,単に花道だけではなく本舞台が客席に張り出していた。そこには舞台への吸収力と,舞台・客席の相互浸透という二つのベクトルがあるように思うが,ともあれヨーロッパで16世紀末に出現する一連の常設劇場の中では,エリザベス朝ロンドンのグローブ座(シェークスピアの常打ち小屋)などが,客席張出し型(張出舞台)によって中世末期の祝典劇の参加の構造を保っている。…

【世阿弥】より

…美童としての魅力はすでに失せ,田楽新座の喜阿弥や近江猿楽比叡座の犬王(いぬおう)らの競争相手も父の在世期から台頭しており,新大夫の前途は多難だったろうが,世阿弥は精進を重ねて苦境をのりこえたようで(当時の記録は皆無に近い),99年(応永6)には京都一条竹ヶ鼻で3日間の勧進猿楽(勧進能)を催し,将軍の台臨を得て,天下の名声を獲得した。翌年に《風姿花伝》の第三までを書いたのは,彼の自信の表明でもあったろう。芸名の世阿弥陀仏を称したのはその直後の40歳ころかららしく,セアではなくゼアと濁ったのは義満の裁定に基づく。…

【風姿花伝】より

…能楽の大成者世阿弥が父観阿弥の遺訓に基づいて著した最初の能楽論書。略称を《花伝》ともいう。一般には《花伝書》の名で知られているが,著者自身,書名の由来を〈その風を得て,心より心に伝ふる花なれば,風姿花伝と名付く〉と言明している。…

【滝廉太郎】より

…小長久子編《滝廉太郎全曲集 作品と解説》(1969)は,歌曲および唱歌43曲とピアノ曲2曲を収録。彼の代表作《四季》(武島羽衣作詞《花》を含む),《箱根八里》(鳥井忱作詞),《荒城の月》(土井晩翠作詞,のちにピアノ伴奏部を山田耕筰が作曲),《メヌエット》(ピアノ曲)は,ドイツ留学前の2年間に集中的に作曲されている。唱歌は東くめ作詞によるものが多い。…

※「花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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