フランス文学(読み)フランスぶんがく

改訂新版 世界大百科事典 「フランス文学」の意味・わかりやすい解説

フランス文学 (フランスぶんがく)

フランス語で書かれた最古の文献として現在知られているものは,842年,シャルルマーニュ(カール大帝)の二人の孫,のちのドイツを領有していたルートウィヒ(ルイ)と,のちのフランス地方を王国の中心としていたシャルルの間に交わされた,《ストラスブールの誓約》と呼ばれる文書である。この文書は,俗ラテン語の痕跡を濃厚にとどめているものの,フランス語がようやく形成されはじめたことを示す重要な資料であることに変りはない。また,それよりほんの少し前,836年には,トゥールの教会会議において,卑俗なロマンス語で説教することが承認されている。かつて支配的な言語であったラテン語は,少なくとも民間の口頭言語としてはしだいに変質を重ね,いわゆるロマンス語の過程を経たあと,いまや9世紀前半に至って,ロマンス語からさらにフランス語が分化し始めたのである。

しかしフランス語が形成され始めるのと並んで,フランス語による文学作品がただちに開花したわけではない。ラテン語は依然として公用語,教会語であるとともに,文学表現の道具として生命を保ちつづける。だがその一方で,当時の知識階層である聖職者が,ラテン語で書かれた著作を,一般民衆のために翻案ふうにフランス語に移すような試みも,しだいに進められていた。現存するものとしては,3世紀のスペインの聖女を歌った《聖女ウーラリーの続唱Séquence de sainte Eulalie》(881)が,フランス語による最古の文学的文献である。宗教的な色彩の濃厚な文学は,その後,ラテン語の著作に拠る《聖アレクシ伝》が1040年ころに作られたのをはじめ,とくに聖人伝の形で数多く行われたと思われる。

 しかし詩的形式の整い,表現力の深さなどからいって,要するに文学性の高さからして,フランス文学の門出を飾るにふさわしい事件は,武勲詩と総称される叙事詩群の誕生である。11世紀後半から12世紀にかけて,初期十字軍に結集した情熱を背景にして生まれたこの口誦文学は,封建制度の確立された時代の戦士的情熱と,キリスト教的倫理が溶け合った時代精神に支えられるとともに,フランス語が文学言語としてようやく練磨されたことを示している。フランス文学の歴史の始まりを書物にたとえれば,前述した宗教的教化文学がいわばその序の頁をなすのに対し,最初の一頁を飾るのは武勲詩であり,とくに《ローランの歌》がその中心に置かれている。

このように,フランス文学が誕生したのはほぼ11世紀のことであり,それから現在まで10世紀にわたって,世界中のどこの文学に比べても豊富多彩な展開を重ねてきた。もちろん長い時間の曲折を経る間に,古フランス語,中期フランス語,近代語というふうに,言語の歴史的な変化がみられるし,ジャンルの消長,文学思潮の変遷などの点からしても,変貌の跡はただならないものがある。確かに,フランス文学は絶えず変わりつづけてきた。しかし一方でまた,ほぼ1000年に及ぶ変貌の連続の底には,恒常的なものが流れているのも忘れてはならない。

 長い歴史を貫いてフランス文学の基層を形づくってきたものといえば,ギリシア,ローマの時代から西欧世界に培われてきた文化的伝統と,キリスト教(宗教改革以後は,プロテスタンティズムも含まれるが,より多くカトリシズム)が有形無形にもたらした影響を,まず挙げなければならない。中世以来,知識人の教養の基本になっていたのはラテン語であったし,ホメロス,ウェルギリウスをはじめ,ギリシア,ローマの文学作品は,フランスの文学者にとって豊かな規範でありつづけた。信仰の時代といわれる中世の文学はいうに及ばず,16世紀以降においても,フランスは〈教会の長女〉とみなされた土地でもあり,詩にせよ劇作にせよ,信仰を披瀝したり神についての敬虔な思索を述べたりすることが,作品を書く根本動機になっている例は枚挙にいとまがない。キリスト教の信仰が弱化し,〈神の死〉などという表現が,一般に浸透し始めた近・現代の文学にあっても,現世における直接的な生の領域と,それを超える超越的・絶対的な世界とを対比させる思考形態の枠組みが,強力に作用しつづけている作品は珍しくない。それはいわば,神が死んだ後の(あるいはキリスト教の信仰が弱まったあとの)空虚を埋めることを主題とする文学であり,現代のフランス文学に負わされた一つの重大な課題がそこにある。

 さらにまた,いま挙げた二つほど強力ではないにせよ,より古い基層として,ケルト的な要素,ガリア的(ゴール的)要素がひそんでいるのも忘れてはなるまい。12世紀に,宮廷風騎士道物語と呼ばれる新しいジャンルが現れた背景には,〈アーサー王伝説〉をはじめ,ケルト系の伝承が大きな形成力として働いている。近代になってからも,ケルト的な魂の神秘性に対する関心は,イギリス・ロマン主義を経由して,フランス・ロマン主義のなかにも流れこんでいるのが看取される。また,たとえば,〈俺はゴール人の祖先から青白い眼と,小さい脳味噌と,組打ちの不手際を受け継いだ〉というアルチュール・ランボーの詩句にみられるように,いわゆる大陸のケルト人の中核として,ローマの進出以前からガリアに先住していたゴール人の気質のなかに,自然さ,闊達さ,粗野ともいえる飾り気のなさ,原初的な荒々しい力を見いだし,それをフランス人の本来的な美徳の祖型として,あえて顕彰してみせた詩人もいる。さらにまた,マルセル・プルースト《失われた時を求めて》の冒頭の部分には,死者の魂が植物や動物のなかにとらわれていると考えていた〈ケルトの信仰には理由がある〉と述べた一節があるが,そこにも,フランス文学者の思考,感覚の奥深い底に,ケルト的なものがひそんでいる事例をみることができる。神話学,人類学,民俗学,深層心理学などの深化によって,現代において,フランス文学の基層の部分から,ケルト的なものが,いっそう濃密に照らし出されるようになる可能性も考えられないではない。

 ところで,フランス文学といえば,フランス人によってフランス語で書かれ,フランスの国土で創作されている文学である,漠然とそう考えがちであるけれども,厳密な定義としてはそれでは不十分である。ジャン・ジャック・ルソーはスイスに生まれたが,終始フランスにおいて著作活動をつづけたし,彼の名前の現れないフランス文学史など想像もできない。ベルギー人,モーリス・メーテルリンクの劇作や小説も,フランスの文学史から逸することのできない重要性をもっている。現代のフランス文学をとってみても,アイルランド出身のサミュエル・ベケットのように,外国からフランスに移住して,フランスを主要な活動舞台に選び,フランス語で書く文学者は少なくないが,彼らの作品をフランス文学とみなすことに対して,誰も疑う者はいない。フランス文学は,というよりフランス文化というほうが適切かもしれないが,普遍的な同化力,牽引力を一つの特性としている。

フランス文学の歴史的な形成の最初の歩みを踏み出したのは,前にも触れた通り武勲詩であるが,信仰と封建君主への忠誠を根幹として集団的感情を歌うこの叙事詩に代わって,やがて個人的感情を優美に表現する抒情詩のジャンルが,文学の舞台の前面を占めることになる。12世紀になる頃から,まず南フランスのトルバドゥールたちが,美しい貴婦人によせるみやびやかな愛と崇敬を主題として,竪琴の旋律に合わせて歌うように作った詩が,その濫觴である。それはやがて北フランスの宮廷に広がり,愛の感情,観念はいっそう細やかに洗練され,形式にも磨きがかけられてゆく。そして時代が経つにつれて,宮廷風の趣味のほかにも抒情詩の領域は拡大し,民衆の現実生活における悲哀,時代にかかわる風刺,信仰をめぐる問題等々,人間生活のさまざまな面にも詩人の眼が向けられるようになる。14,15世紀に至ると,各種の定型詩の形式が整えられるのもみられ,抒情詩のジャンルが確立されたという印象が濃厚になるばかりでなく,自我を深く見つめながら人間の生の実相を表現したF.ビヨンのように,近代的な抒情の萌芽を示す詩人もやがて現れるのである。

 中世文学の生んだもう一つの大きなジャンルは,宮廷風騎士道物語である。12世紀における経済の安定につれて,封建貴族の城館のサロンの活動が華やかになっていく情勢を背景として,高貴な美しい女性への愛を中枢に置き,騎士たちが数々の苦難を克服して功業をあげる冒険の旅を語る世俗的な物語と,聖杯を探索する困難な遍歴を語る宗教的な色彩の濃い物語。世俗的騎士道物語についても,宗教的騎士道物語についても,クレティアン・ド・トロアという偉大な物語作者の出現が,こうした隆盛をもたらしたことは確かであるが,いずれにせよ,愛の情熱と波瀾に満ちた冒険譚に彩られたこの文学ジャンルが,やがて近代の小説のはるかな源流になるであろうことはまちがいない。また,ケルト系の伝承に基づく《トリスタンとイゾルデ(イズー)》の物語の流行も,同じジャンルの圏内のこととして記憶しておく必要があろう。

 貴族的な騎士道物語と違って,12世紀末から13世紀,さらには14世紀にかけて,風刺,哄笑,機知,滑稽を生命とする笑いの文学が出現する。さまざまな階層の人々,とくに聖職者を滑稽化するファブリオー,動物世界に託して偽善,不正等々,社会の悪徳に辛辣な眼を向ける《狐物語》がそれであるが,こうした作品群は,その後のフランス文学に流れつづける風刺と笑いの要素につながる。また,物語といえば,13世紀の前半と後半に書かれた《薔薇物語》も,とくにその寓意という表現方法の特性において,後代に影響をもたらすことになろう。文学のジャンルとしては,13世紀においては主として十字軍の事績を,14,15世紀においては百年戦争の経過,その時代の民衆生活の様相を記録する歴史,年代記も忘れてはならない。以上にあげた各種のジャンルにわたって,中世の文学は,16世紀以降のフランス文学の堅固な土台を築いたのである。

経済力の進展に伴う社会構造の変質,地理上の発見による世界意識の拡大,印刷術の普及等々,社会と文化のさまざまな面に生じたもろもろの変革の要因が重なり合って,16世紀の訪れとともに,フランスにもルネサンスの気運がみなぎり始める。イタリアの先進文化がしきりに移入され,ギリシア・ローマの古典を文献学的に厳密に研究するとともに,そのなかに新しい人間の生き方を探ろうとするユマニストの活動が活発に行われた。一方また,中世末期の教会の腐敗堕落を厳しく批判し,キリスト教の純化を目ざす改革運動も進められ,ユマニスム(人文主義)は宗教改革運動とも連動する。そして信仰上の対立の果てに,世紀の後半になると,流血の抗争にいたった宗教戦争が,ユマニストのみならず,すべての文学者に難問を投げかけるのである。

 16世紀の文学は,そのような時代環境のなかで創造された。エラスムスの影響を受け,ユマニストとして該博な知見を深める一方で,中世の騎士道物語をもじったりしながら興味津々たる物語を繰り広げたラブレーの作品には,この時代のあらゆる問題が包括的に織りこまれている。ユマニスト的な知識を集大成しながら,人間を幅広く,奥深く探究したモンテーニュ随想録(エセー)》にも,時代の爪跡は強く刻みこまれている。詩の世界においても,イタリア詩の直接的な影響や,ギリシア・ローマの詩から新しい富を汲み上げた跡は歴然としている。〈大押韻派〉〈リヨン派〉の詩人たちの作品にも,もちろんそれはうかがえるが,そういう時代環境のなかで,新しい抒情詩を創造したのは〈プレイヤード派〉,とくにロンサールである。またデュ・ベレー《フランス語の擁護と顕揚》は,フランス語の豊かさの発見を提唱した論として,大きな歴史的意義を担っている。そのほか近代の散文の確立に寄与したといわれるカルバン,イタリア風の物語の形式のもとで愛のかたちを探ったマルグリット・ド・ナバールの名も,それぞれ16世紀文学のある側面を示すものとして記しておくことにしたい。

17世紀の初めは動乱の時代の延長であり,かつて宗教戦争の渦中で戦ったドービニェが,風刺,幻想を盛りこんだ詩を書いたりした時代である。ドービニェのなかにも,奔放な感情の高揚,変幻変動するものの重視,劇的な誇張の偏愛などで特徴づけられる〈バロック〉の詩人は少なくない。小説と名づけるべき分野では,〈田園小説〉(オノレ・デュルフェ)や〈英雄小説〉(スキュデリー)のかたちで愛の諸相を探究するもの,また高尚なもの,崇高なものを意図的に滑稽化する〈ビュルレスク〉の作品(スカロン)も生まれたが,これは貴婦人のサロンを中心とする社交界において,優雅さ,繊細さを過度なほど尊重した〈プレショジテpréciosité〉に対する反動でもあった。

 〈バロック〉趣味が盛んだった〈前古典主義〉の時代にも,一方には整然たる詩形のもとで,感情を抑制して表現することを目ざしたマレルブのような詩人もいた。さらにまた,理性的な規範にかなう表現を重視し,〈古典主義〉の先駆的な理論家となったマレルブと対立し,奔放な自由思想を謳歌する詩人もいなかったわけではない。だが,そうしたなかで,〈古典主義〉はしだいに準備されていく。フランス語辞書の編纂,文学的理論の確立を主要な任務とするアカデミー・フランセーズが,国家の機関として創設されたのは,とりわけ大きな意義をもつできごとであった。

 フランス文学の歴史の上で最大の頂点をなす〈古典主義〉は,コルネイユ,そしてラシーヌの悲劇,モリエールの喜劇をいわば主要な両翼として形成された。とくにルイ14世の親政が始まった1661年以降,学芸の興隆にも熱心だったこの〈太陽王〉の王権のもとで,〈古典主義〉の文学は全面的に開花する。ラ・フォンテーヌの寓話詩,ラ・ファイエット夫人の心理小説,ボシュエの格調の高い雄弁,そして指導的な理論家の役を果たしたボアローの《詩法》。

 17世紀という時代の特徴を示すものとして,モンテーニュの流れを汲み,人間生活をつぶさに観察し,人間の本性,本質を探究する〈モラリスト〉の文学があることも忘れてはなるまい。ラ・ロシュフーコー,ラ・ブリュイエールがまず思いうかぶ名前である。また,デカルトとパスカルの名前も,17世紀の文学史から逸することはできない。人間の思考する能力を重んじ,近代の合理主義的思想の基礎を築いたデカルトは,〈古典主義〉の理念の形成にも貢献していると思われるが,同時代への寄与もさることながら,むしろ18世紀以降,理性と良識を中核とする人間の本性の尊重という面において,〈カルテジアニスムデカルト主義)〉は文学にも大きな影響を投げかけつづける。パスカルのほうは,近代的な実存の不安を鋭く感じとった先駆者として,19世紀以後の文学者の深い関心を呼ぶことが少なくない。そのほか,17世紀を通じて,宗教の拘束に反抗し,奔放な思想と生活を旨とする,〈リベルタン〉と呼ばれる自由思想家がいたことや,レス枢機卿 Jean-François Paul de Gondi Retz,ゲ・ド・バルザックらの回想録作家の作品があったことも書きとめておこう。そして1887年,古代人に権威と規範を仰ぐ傾向に疑念を呈したペローの詩によって,〈新旧論争〉が開始されるが,18世紀になって再燃するこの論争は,人間の進歩を認めようとする近代派の立場のなかに,新しい時代への気運を感じとらせてくれるのである。

1715年にルイ14世が死んで,社会には,フランスの変化の兆しが現れ始める。しかし文学の世界は,ただちに急激な変化に見舞われることはなく,とくに古典劇の規範は容易に崩れなかった。小説の分野では,世紀の初頭に,世相を風刺する写実性をそなえたルサージュの作品,30年代になると,19世紀以降の市民小説のレアリスムに通じる要素を含むといわれるマリボーの作品も現れたりするが,世紀の前半を通じて,全体としては,古典主義的な文学風土はまだ揺らいでいなかった。ただ,感情の激発,高揚にまかせて生きることをあえて否定しない《マノン・レスコー》のような作品が刊行され,〈前ロマン主義〉の萌芽が現れ始めることも,見落としてはならない。

 18世紀はしかし,思想文学の世紀である。17世紀末から活躍したフォントネル,ベールを先駆として,モンテスキュー,ビュフォンなど,哲学,科学の知識を一般向けに表現した思想家や,ラ・メトリーらのいわゆる唯物論者を経て,やがてボルテール,ディドロ,ルソーが前面に登場する。こうして世紀中葉になると,理性による知の獲得を目ざし,〈光明の哲学〉を主張する思想文学が広く世の関心を集めることになるが,この思想家たちが理性的な自由検討の精神を標榜する一方で,感情や情念をも重んじていたことを忘れてはならない。とくに,進歩ということに疑念をもち,〈百科全書派〉と一線を画すようになったルソーは,小説《新エロイーズ》などを通して,〈ロマン主義〉への道を開く先駆者にもなった。また18世紀も末に近づき,フランス革命前後の動揺ただならぬ時代のなかで,政治,社会,宗教など,あらゆる面で深刻な価値の崩壊があらわに露呈され始めると,レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ,サド,ラクロなど,人間生活の醜悪な暗黒の面をあえてえぐり,宗教を蔑視し,悖徳を誇示するような小説が生まれてくる。こうした文学は,同時代の読者から広く公認されたとは言えないが,時代の大きな変動を告げる破壊的な力がそこに認められる。そのほか,〈モラリスト〉の文学の系譜はボーブナルグ,シャンフォールRoch de Chamfort(1741-94)に受け継がれたし,L.C.de R.サン・シモンのような回想録の作者も活動した。詩の分野では,ジャン・バティスト・ルソーJean-Baptiste Rousseau(1671-1741)のように,いわば,〈古典主義〉の影の下で書き,当時は高く評価されたものの,後代に大きな影響を及ぼした名前は見当たらない。ただ原初の自然への憧憬を歌い,ロマン主義と結びつく傾向を示したシェニエの名は,この世紀の詩の最後を飾るものとして記しておきたい。

感情,情念を重視する傾向は18世紀から伏流していたが,19世紀の訪れとともに,シェークスピア劇の翻訳の流行,イギリスの詩人T.グレーやE.ヤングの紹介,ゲーテ《若きウェルターの悩み》の影響等々,さまざまな刺激要因が複合して,しだいに大きな流れに育っていった。ルソー,ベルナルダン・ド・サン・ピエールらフランスの作家の影響も,もちろん考えなければなるまい。さらにまた,文学を超える要因として,フランス革命を経験した後,文化の領域においても変革を求める気分がみなぎっていたことを忘れてはなるまい。

 こうした状況のもとで,〈ロマン主義〉への道が切り開かれていく。スタール夫人《ドイツ論》を皮切りにして,シャトーブリアン,コンスタン,セナンクール等々の作品を通して,感性,情熱,想像力に優位を置き,数々の制約から自我を解き放とうとする思想がしだいに広く浸透するとともに,そのかたわらでは,現実社会に対する幻滅,そこから生じる憂愁,不安,倦怠等々に侵された〈世紀病〉と呼ばれる心的状態が,その暗い影をしだいに濃くしていく。〈ロマン主義〉は,そういう感情,気分,思想の複合であるが,そこにはまた,“いま”“ここ”にないものに向かって,あるいは時間的に(歴史的過去)あるいは空間的に(異国趣味),憧憬を燃やす心情も結びついていた。C.フーリエのユートピア的な社会主義にも通じるような人道的理想も,〈ロマン主義〉の一つの側面として見のがしてはならない。

 文学のみならず,美術,音楽の分野とも連動して,フランスの〈ロマン主義〉が確固たる存在となったのは,1820年代からである。ユゴー,ラマルティーヌ,ビニー,ミュッセの詩は新しい感性の表現として受けいれられ,ユゴーの演劇は,1830年のあの《エルナニ》事件をきっかけとして,形骸的な制度と化していた古い演劇趣味を完全に打倒する。ゴーチェやネルバルも,少なくとも30年代には〈ロマン主義〉のすぐ近くに位置していた詩人である。

 一方,この時代から,文学の最も強力なジャンルの座は,小説のものとなり始める。産業革命の進行に伴う市民社会の肥大化や,教育の普及,ジャーナリズムの発達による読者層の急激な拡大が,おそらくその主要な理由であろう。こうした趨勢のなかで,さまざまな類型の人間の生活情景を累積させて,社会全体を壁画的に描こうとしたバルザックの小説,ある社会環境の圧力のもとで,情熱を傾けて生きる個人の運命を語るスタンダールの小説は,それぞれに膨張しつつある市民社会の特質を豊かに表現している。そのほか,〈ロマン主義〉の周辺の小説家として,メリメ,サンド,ノディエらがいたし,多数の読者向けの新聞小説の書き手として成功したE.シュー,通俗的な歴史小説を大量に書いたデュマの名もあげておこう。また歴史家ミシュレ,近代批評の基礎を築いたサント・ブーブも,19世紀前半の文学を多彩にした才能として忘れてならない名前である。

19世紀の後半になり,〈ロマン主義〉が退潮するとともに,小説の世界ではレアリスムが台頭する。現実生活のもろもろの情景を客観的に提示することを目ざすこの文学思潮の背景には,コントの創始した実証主義の流れがあるが,レアリスム小説の主張は,直接にはテーヌの影響を受けているといわれる。この運動は,美術におけるレアリスムと連携を保って50年代から推進され始めたが,小説として最も完成された作品を創造したのは,実際には運動の外にいたフローベールである。その後,レアリスム小説は自然科学の実証主義への接近をますます深め,ゾラにいたると,ベルナール《実験医学研究序説》の方法を小説に適用することを説くまでになった。自然科学者が対象を取り扱う態度と同じく,小説家も人間を冷静に,科学的に扱わねばならないとするゾラの〈自然主義〉はかなり皮相なものだが,しかしそこには,科学的実証主義に覆われた時代精神が明瞭に現れている。ゾラの周辺の〈自然主義〉の小説家として,ゴンクール兄弟モーパッサン,ドーデがあげられる。

 一方,詩の世界では,ルコント・ド・リールを中心とする〈高踏派〉が,造形的なイメージの客観性のもとに感情を暗示的に包み隠す〈不感無覚〉の詩法を標榜し,〈ロマン主義〉の主観性の克服を目ざした。かつては〈ロマン主義〉の同調者だったゴーチェなども,〈高踏派〉に共鳴したが,ボードレール悪の華》の出現とともに,フランスの詩は〈象徴主義〉の方向へ向かい始める。マラルメ,ベルレーヌ,ランボーらは,ボードレールの交感の詩学から強い啓示を受け,それぞれ独自の方向において,象徴という手段を通して外なる宇宙と交感し,内なる意識の微細な運動を表出する詩を精錬するのである。

 〈象徴主義〉の詩,あるいはその周辺にいた詩人たちの詩には,憂鬱,倦怠,不安,退屈,衰頽といった負の気分も濃厚にまぎれこんでいた。1880年から90年代にかけて,マラルメやベルレーヌを先達と仰ぎ,そのまわりに集まっていた若い詩人たちのなかには,その方向にのみ深入りし,もっぱら内面の繊弱な感情の動きから繊細な抒情を汲み上げようとする傾向が,しばしば見受けられるようになる。世紀末といえば,現実生活に背を向けてひたすら美の崇拝に生きる人物を主人公とする小説を書いたユイスマンス,物質主義を告発し,卑俗な現実を超える壮麗な夢と神秘的幻想の使徒であったビリエ・ド・リラダンなども,まぎれもなく世紀末的な特徴を体現している。また,あらゆるものに皮肉な疑いを向け,その懐疑をいわば微温的に享楽していたアナトール・フランスの小説も,世紀末的な傾向の側面を示している。

世紀末文学の延長のようにして始まった20世紀の文学は,やがて独自の相貌を力強く現し始める。とりわけ〈象徴主義〉の影響から出発し,自我の内面に厳しい視線を注ぎつづけ,そこから豊饒な鉱脈を探りあてたバレリーの詩,クローデルの劇作,プルーストの小説は,フランス文学に新しい活力をもたらした。自意識の閉鎖性,大地と交感する生命力,信仰と自己犠牲等々の問題を追いつづけたジッドの小説も,カトリックの信仰と社会主義という二つの基盤に立つペギーの作品も,かつてない新生面を開くものであった。

 詩の世界では,19世紀の後半から始まっていた自由詩の試みが年々拡大され,定型詩は急速に衰えはじめる。新時代の精神のありかたとして,奔放な幻想を大胆に繰りひろげてみせたアポリネールを先駆とし,既成の価値の破壊を目ざした〈ダダイズム〉を経た後,第1次大戦後になると,〈シュルレアリスム〉が,新しい詩を探究する果敢な運動として前面に現れた。ブルトン,アラゴン,エリュアール,デスノスらによって推進された〈シュルレアリスム〉は,第2次大戦後に至るまで,文学をはじめ,美術,音楽,映画などあらゆる芸術分野に大きな影響を投げかけつづける。

 運動として出発した当初,〈シュルレアリスム〉は,第1次大戦の社会を覆っていた不安の気分に染められた一面をみせていたが,もちろんそれは〈シュルレアリスム〉に限らない。ドリュ・ラ・ロシェル,モンテルランら,若い世代の作家は一様に不安のしるしをあらわに刻みつけていた。やがて30年代になり,第2次大戦の予感が高まり始めると,たとえばマルローのように,コミュニズムに近づくなどして,作家が政治行動に直接にかかわる事例もしだいに数を増してくる。そんなふうに不安から行動へ,時代の文学の特徴を示す指標が移っていく両次大戦間の期間は,また社会全体を壁画的に描きだしたり,歴史の巨大な動きを背景にして一つの家族や個人の運命を語ったりする大河小説の時代でもあった。この種の膨大な小説の先駆としては,20世紀初頭のロマン・ロランの作品があるが,20年代から30年代にかけて,マルタン・デュ・ガール,ロマン,デュアメル,アラゴンらが優れた大河小説を競って発表する。第2次大戦後のサルトル《自由への道》なども,この系列に数えられる作品である。また両次大戦間を通じて,モーリヤック,ベルナノスら,カトリシズムの小説家の作品も読者の関心を集めたし,ジッドを支柱とする雑誌《NRF(エヌエルエフ)》に拠って,ティボーデをはじめとする批評家たちが活発な活動をつづけたことも思い出しておこう。迫ってくる戦争の危機を前にして,文学者が現実社会の動向に関心を深めざるをえなくなっていくのも,この期間の特徴である。

第2次大戦の時期から戦後にかけて,フランス文学の最も著しい特質を形づくったのは,不条理の思想と感覚を主題とする文学である。サルトルとカミュの小説および戯曲がそれを代表する。サルトルはまた実存主義の著作家でもあり,その面での影響力も絶大なものがあった。一方また,神の死の時代において,人間の精神はどこに絶対的な根拠を求めるべきかを問うG.バタイユは,すでに戦前から著作活動を始めていたが,その著作に対する一般の関心の向け方には,第2次大戦後の思想風土が反映している。バタイユの思想と親近性をもつブランショやクロソウスキーについても,同じことが言える。

 一方また,第2次大戦後のフランス小説に現れたもう一つの顕著な傾向は,物語を語る機能などいっさい捨てて,人間の存在のあり方,記憶の現れ方,外的な現実と意識のかかわり方を,ありのままにとらえようとする試みである。50年代から始まる〈ヌーボー・ロマン〉がそれを典型的に示しているが,それはさらに,小説の特性そのものを問うこと,小説の成り立つ根拠を解明することを主題とする試みにまで及んでいる。詩についていえば,ここでもまた存在の根源に問いかけるまなざしが目だつが,最も優れた詩人としてボンヌフォアの名をあげておく。

 以上,当然あげるべくしてあげる機会に恵まれなかった名前もあるが,約1000年に及ぶフランス文学の流れを概観すると,さまざまな時代を通じて,またさまざまなジャンルにわたって,フランス文学は何よりも人間を探究する文学,人間の生き方を探る文学であったことがみてとれる。また文学の本質を問題にする理論的な探索の側面が強く,新旧の論争がたえず活発であったことも目につきやすい特徴であろう。だが,理論闘争が活発であったにせよ,人間の普遍的な本性,理性的秩序,人間の知的能力の進歩等々,近代を支えてきた価値の指標は,現代まで根底から激しく揺り動かされることはあまりなかった。しかし,その点で,現代は様相が一変しようとしている。フランス文学はいまそういう根底的な難問を前にして,苦しい戦いを強いられているようにみえるのである。

明治以来,フランス文学は日本で熱心に読まれつづけているばかりでなく,詩人,小説家の創造活動にも大きな刺激を与えつづけてきた。まず明治初頭,フェヌロン,デュマ,ベルヌの紹介が盛んに行われたが,これはむしろ外国事情を知る手がかりのようなものであった。自由民権運動に絶大な影響を及ぼした中江兆民訳,注解によるルソー《民約訳解》を別として,フランスの文学作品が,真剣な文学的論議を呼ぶことになったのは,明治20年代からである。いわゆる〈没理想論争〉にからんで,小説が人間をあるがままに描くにはどうすべきかという観点から,とくに自然主義小説が関心の的にされた。森鷗外〈エミル・ゾラが没理想〉(1892)がその一例である。ゾラの考えた〈自然〉は,明治の日本では正当に理解されたとは言えないが,島崎藤村,田山花袋ら,やがて日本の自然主義を形づくる小説家たちは,ゾラやモーパッサンの作品から学ぶところ大きかった。彼らはまた,その頃《懺悔録》と訳されていたルソー《告白》の影響もあって,文学は内心の吐露であるべしとも考えていた。一方,詩の領域では,主として上田敏の紹介を通してボードレール,ベルレーヌの作品が広く知られ,明治末期から大正にかけて,薄田泣菫,蒲原有明,北原白秋,萩原朔太郎らが,象徴という手段を通して,内的な感情・情緒を表現しようと試みた。

 明治・大正を通じて,フランス文学を最も深く呼吸した作家は永井荷風であろう。荷風は訳詩も試み,ゾラ,レニエなどに造詣が深かったが,フランスの文化的風土への敬意を創造の動力とした点で特異な存在であった。芥川竜之介もメリメ,フランスなどに関心を寄せたが,憧憬,心酔の深さで荷風に及ばない。

 大正末から昭和10年代半ばまで,フランス文学に対する関心はさらに拡大する。思考する人間の意識,ひいては制作する人間の意識の精密な分析を重視した象徴主義の批評精神に着目し,新しい文学批評の道を開いた小林秀雄,河上徹太郎,ジッドなどを通してつかんだ精神の自由な運動という考えを,文学の拠りどころとした石川淳,スタンダールを熟読し,第2次大戦後になってから,社会の圧力のもとでの個人の生き方を明晰に見つめる小説を書いた大岡昇平など,この時期に出発点をもつ作家は少なくない。また,《詩と詩論》など,シュルレアリスムをはじめとする同時代の文学の紹介に熱意を示す雑誌が,つぎつぎに刊行されたのもこの時期である。

 第2次大戦後,特筆しなければならないのは,野間宏におけるジッドやサルトル,中村真一郎におけるネルバルやプルーストのように,フランス文学に対する理解が,小説の方法そのものとして血肉化されていることである。モーリヤックと遠藤周作の関係についても,同じことが言える。一方,サルトル,カミュを中心とする不条理の文学や〈ヌーボー・ロマン〉をはじめとして,同時代の文学が時を移さず紹介されるようになったのが,この時期の特徴である。ただし距離は縮められたが,本質的な交流がどこまで活発になったか,それは今後考えられるべき問題であろう。

 最後に日本におけるフランス文学研究について一言すると,大正期から本格的に始められたこの分野の仕事は,たとえば渡辺一夫のラブレー研究のごとき画期的業績を生むなどしながら年とともに深められ,いまや国際的な評価に十分に耐えられる水準に達している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

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