〘名〙
[一]
① 生物中の一類としての人間。下肢で直立歩行し、上肢は手の機能を果たすようになり、地上生活を営み、道具を使用し、さらに大脳の著しい発達によって、言語、思考、理性の能力、また文化的創造の能力を有するに至ったもの。人間。生物学上は、脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に分類される。ひとの進化の段階として、一般に猿人、原人、旧人、新人が考えられており、これら化石人類は数属に分かれるが、現生人類はすべて一属一種、すなわちホモ‐サピエンスであり、狭義にはこれを「ひと」という。現生人類における人種は、生物学上の亜種または変種に相当する。自然科学の対象以外では、「ひと」は動物や植物などと
同位概念として、あるいは自然と対立する概念として用いられる場合が多い。
※
古事記(712)中・歌謡「一つ松 比登
(ヒト)にありせば 太刀佩けましを 衣着せましを」
※
徒然草(1331頃)七「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし」
② 人類以外の生物で、人間に準ずる体形や能力を有すると考えられるもの。人類から類推した天人、火星人など。
※竹取(9C末‐10C初)「月の都の人也」
[二] 社会的に生存する人間。
① 存在、行為、思考、あるいは性質、状態などの主体としての人間。個人、またはその集合。
※古事記(712)中・歌謡「忍坂の
大室屋に 比登
(ヒト)多
(さは)に 来入り居り」
※舞姫(1890)〈
森鴎外〉「心ある人はいかにか見けむ」
② 具体的な存在ではなく、抽象的な概念としての人間。
(イ) 人間一般。人間たるもの。
※万葉(8C後)四・五九八「恋にもそ人(ひと)は死にする水無瀬河下ゆ吾痩す月に日にけに」
(ロ)
格助詞「の」を伴って連体修飾語となり、物事の帰属する主体が一般的な人間であることを表わす。多く慣用句として用いられ、きわめて軽い意味を加えるにすぎない。
※書紀(720)神代下(丹鶴本訓)「如何ぞ人(ヒト)の兄(いろ)として弟に事へむや」
③ 世の人々。一般の人間。また、世間。世俗。
※書紀(720)仁徳四三年九月(前田本訓)「百済の俗(ヒト)、此の鳥を号けて倶知と曰ふ」
④ 人民。国民。あおひとぐさ。ひとくさ。たみくさ。
※万葉(8C後)一九・四二五四「食(を)す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば」
⑤ 人間として、またはある事に関して、必要な条件を備えたもの。完成した人格。
一人前の人間。
(イ) 成年に達したもの。成人。おとな。
(ロ) 人らしい人。とりたてていうに値する人。立派な人物。また、特にある事について、しかるべき人。適当な人。すぐれた人。人材。
※万葉(8C後)五・八九二「あれをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば」
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愚管抄(1220)七「あに二人の子孫には、人とおぼゆる器量は一人もなし」
⑥ 人間であるための重要な条件をいう。
(イ) 人間の品格。人柄。人品。
※源氏(1001‐14頃)帚木「人もたちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく」
(ロ) 人の身分、家柄。
※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月一七日「人の程よりは、さいはひのこよなくおくれ給へるなんめりかし」
※源氏(1001‐14頃)夕顔「人も賤しからぬ筋に、
かたちなどねびたれど清げにて」
(ハ) 人間の性質。ひととなり。特に、気性、心だてをいう。「人がよい」「人が悪い」
※
多情多恨(1896)〈
尾崎紅葉〉前「君は然云ふ不実な人物
(ヒト)とは思はんだった」
⑦ 当人に対して、それ以外の人。他の人。
(イ) 他人。当人以外の不特定の人。また、当事者に対して、まわりの人。
※古事記(712)下・歌謡「天飛(だ)む 軽の嬢子(をとめ) 甚(いた)泣かば 比登(ヒト)知りぬべし」
※倫敦塔(1905)〈
夏目漱石〉「人から誘はれた事もあるが断った」
(ロ) ほか。よそ。他。特に人間を具体的に意識することなくいう。
※
伊勢物語(10C前)四六「人の国へいきけるを、いとあはれと思ひて別れにけり」
⑧ 法律でいう。
(イ) 広義には、自然人と法人を含む法律上の人格者。権利および義務の主体となるもの。
※刑法(明治一三年)(1880)四二四条「人の権利義務に関する証書類を毀棄滅尽したる者は」
(ロ) 狭義には、法人に対して自然人。出生から死亡に至るまでの個人。
※刑法(明治一三年)(1880)二九二条「予め謀て人を殺したる者は謀殺の罪と為し死刑に処す」
[三] ある人物、またはある種の人間を、一般化、または客観化して表現する。
① 不特定の人物をいう。ある人。だれか。特定の人物を、ことさらに不特定化して、ぼかしていう場合がある。
※万葉(8C後)二・二一〇「大鳥の 羽易(はがひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと 人の云へば」
※伊勢物語(10C前)四八「うまのはなむけせんとて人を待ちけるに、来ざりければ」
② すでに話題に上っている特定の人物をさして、一般的にぼかしていう。この人。あの人。
※古今(905‐914)羇旅・四〇七「わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよあまの釣舟〈小野篁〉」
③ 自分自身を客観化していう。現代語では、「人を馬鹿にする」「人の気も知らないで」など、自分に対する他人の態度をとがめるときに用いることが多い。
※万葉(8C後)四・五六二「暇なく人の眉根を徒に掻かしめつつも逢はぬ妹かも」
④ 自分に対して対者をいう。また、男女の相聞などで、相手を客観化していう。あなた。
※古今(905‐914)春上・四二「ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける〈紀貫之〉」
※源氏(1001‐14頃)薄雲「秋の草をも掘り移していたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを」
⑤ さまざまの相対的関係にある人物の一方をいう。
(イ) 恋人。また、夫、あるいは妻。
※万葉(8C後)三・四五一「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」
(ロ) 君主、主人に対して、それに従うもの、使われるもの。臣下、家来、女房、供人、
召使い、
使用人など。
※古今(905‐914)仮名序「つるかめにつけて、きみをおもひ、人をもいはひ」
(ハ) 使者。代理人。
※伊勢物語(10C前)九六「かしこより人おこせばこれをやれ」
(ニ) 客人。「一日中人があった」