道(way)(読み)みち(英語表記)way

翻訳|way

日本大百科全書(ニッポニカ) 「道(way)」の意味・わかりやすい解説

道(way)
みち
way

一つの地点から他の地点への移動を可能にする通路または経路をさす。英語のwayという語は、サンスクリットのvahすなわち「行く、動く」につながるという。道ということばで意味されているのは要するに「動き」であり、したがって、(1)空間上の一点から他の点に通ずる経路、(2)それを可能にするため地上に人工的につくられた道路、の意味に用いられる。「東洋への道」とか「海上の道」などは前者の意味の道であり、「ローマ道(どう)」とか「インカ道」は後者の意味の道である。ここでは、道路の意味に限り、しかも近代以前の例を中心に述べることとする。

増田義郎

先史時代の道

先史時代にも長距離の道路網があったことは、遺物の出土状態から推定できる。たとえば日本の先史時代に、長野県和田峠など限られた地域にしかない黒曜石が、中部地方から東北地方にかけて広く分布している事実は、なんらかの交通路の存在を想定させる。先史時代の道は、計画的に設計されたものでなく、長い間、人が通(かよ)って自然にできあがったのであろう。ただし、紀元前1500年以前、オランダ、ドイツ、ポーランドなどの湿原や沼沢地で、丸い材木を渡してつくった道の跡がみつかっているから、通りにくい自然条件の場所には、人工的な道が計画される可能性もあったわけである。先史時代または古代に有力な祭祀(さいし)センターがおこると、各地から巡礼が通い、道路網が自然発生した。道路の建設や維持が、宗教団体や信者の集団によって行われた可能性もある。メキシコのオルメカ文明、ペルーのチャビン文明の遺物の広い分布や大祭祀センターの存在は、道路網の発達なしには考えられない。宗教や信仰の中心と結び付いた道の例は、中世スペインのサンティアゴへの巡礼路にもみられる。このような巡礼や布教の道が、同時に交易路の役割を果たした例もしばしばみられる。先史時代や古代においては、海や川がたいせつな通路であった。ヘロドトスは『歴史』の第2巻で、ナイル川に沿い、4か月の旅程の地域までの事情がわかる、と書いているし、同第1巻では、ユーフラテス川バビロンから上流のアルメニア人の国までの交通路として使われた、と述べている。古代メソアメリカの熱帯林地帯に成立したマヤ文明の場合にも、ウスマシンタ川とその支流に沿って、ヤシュチランボナンパク、ピエドラス・ネグラス、セイバルなどの重要な宗教都市が並んでいるから、川が重要な通路であったらしい。

[増田義郎]

古代の道

オリエントにおける古代帝国の成立とともに、軍事、政治、通商のため、道路は国の動脈として必要不可欠のものとなった。計画的につくられた古代道としてもっとも古いのは、メソポタミアから小アジアに至るペルシアの王道である。これは古くからあった道が、前531年ダリウス1世の即位後、オリエントに歴史上初めて出現した大帝国の維持のために改修拡大されたものである。ヘロドトスの『歴史』の第5巻によると、ペルシアの首都スーサから小アジア西部のサルディスまで約2500キロメートルの道に111の駅がつくられ、50日で行けたという。駅の間隔は20ないし25キロメートルで、各駅には馬が用意され、王の伝令は1日250キロメートル走り、スーサ―サルディス間を10日で走破した。大帝国に道路は不可欠であり、13世紀にユーラシア大陸を一つに結ぶモンゴル帝国が成立したときにも、道が重要な役割を果たした。チンギス・ハンは、帝国のすべての道の1日行程の地点に駅站(えきたん)を設け、20頭の馬を用意させた。オゴタイ・ハンは駅伝制度をさらに強化し、カラコルム、中国北部、イランの間に専用の軍事道路をつくらせた。

 エジプトでは、ナイル川の水運に頼ることが大きく、また西アジアで前3000年以前に発明された車もかなり遅くなって入ってきたので、道路の発達は遅れていたが、テーベから紅海に抜ける道と、メンフィスから小アジアに通ずる道は重要性をもっていた。神殿に行く道路以外の道が舗装されていた証拠は少ないといわれる。

 地中海のマルタ島やクレタ島にも古代道の跡が残っている。マルタ島の道は前2000~前1500年ごろにつくられ、敷き詰めた砂岩の上に、約1.35メートルの間隔でV字形の溝が道に沿って掘ってある。おそらく駄獣に引かせた車の車輪のためにつくられたものであろう。クレタ島の道はミノス文明の産物であり、クノッソスから、険しい高度1300メートルの山を越えて島の南岸のゴルティーナまで、幅3.6メートルの舗装を施した道が通じていた。ギリシア人は海洋民族であり、国内も山地が多く、また統一的な帝国もできなかったので、ローマ時代以前、道路は比較的未発達であったが、神殿や聖域に通う道は舗装され、マルタ島の道のように、敷石の上に車輪のための2本の溝がつけられていた。

 ヨーロッパでもっとも古い道は「琥珀(こはく)の道」とよばれる。これは、前1900~前300年にエトルリアやギリシアの商人が、北ヨーロッパの琥珀と錫(すず)を運ぶためにできた道といわれ、ハンブルク、ザムラントなどから地中海まで何本か通じていた。これらの道は、ドナウ、ビスワ、ドニエプルなどの水路を併用していた。

[増田義郎]

中国の王道

前221年秦(しん)帝国の成立とともに中国の王道の建設が始まる。始皇帝は郡県制度の実施に伴って王道の建設も行い、首都の咸陽(かんよう)を中心に各地に通ずる放射線状の道路網をつくったが、これが漢代以後の中国北部の王道の基本的なパターンとなった。中国の古代帝国の拡大とともに遠隔地に通ずる道路が発達したが、なかでも重要なのは、北方の匈奴(きょうど)に対抗するためにつくられた道と、西域(せいいき)に向かういわゆるシルク・ロードであった。しかし揚子江(ようすこう)以南の地や越南(ベトナム)に向かう道は、山地地形のため発達が遅れ、部分的に河川に依存することが多かった。隋(ずい)・唐以後、国家の中心が東に移動し、南海の海外貿易が活発化するのに伴って南部に経済の重点が移るにしたがい、運河や河川による輸送の重要性が高まった。この傾向は、経済・商業の繁栄を経験した宋(そう)代以後著しくなり、そのため北部の経済的停滞が生じて、陸路の発達を阻んだ。

[増田義郎]

ローマ道

古代帝国で、もっとも大規模かつ組織的な道路網を建設したのはローマ人であった。ローマ帝国の拡張に伴い、統治の必要上から建設されたのである。帝国の最盛時に、ローマと辺境をつなぐ幹線道路網は全長8万5000キロメートル以上に達した。もっとも古く代表的な道は、前312年に建設されたアッピア街道である。この道は、ティレニア海岸に沿いカプアに通ずる道で、前3世紀にはイタリア半島の南端のブルンディシウムまで延長された。ローマの幹線道路はアッピア、フラミニア、アウグスタ、トラヤナ、アウレリアなど、建設者の名をもっている。アッピア街道を例にとると、道幅は15メートルあまり。2列の縁石で仕切られた空間に幅4.7メートルの中央道が2本と、その外に幅2.3メートルの副道が2本つくられていた。建設にあたっては、地面を深く掘り込み、まず平石を敷き詰めてから、砕石と砂と石灰を混ぜてつくったコンクリート層をその上にのせ、それをモルタルと砕石層で覆ってから、いちばん上に厚さ約1.5センチメートルの固い火成岩の敷石を置いたのである。道全体の厚さは0.9ないし1.5メートルだった。この方法は、その後近代社会に至るまで道路建設の原理となった。アッピア街道の初めの100キロメートルにみられるように、ローマ人は2点間の最短距離を結ぶことを道路建設の原則とした。また、道を水平に保つことを心がけた。したがって、小さな丘ならば切り通しを開き、谷を渡るときにはアーチからなる陸橋をつくった。

 紀元後476年、西ローマ帝国の滅亡とともにローマ道は廃れた。強力な中央集権の欠けたヨーロッパ中世では、道路に関する関心が低く、荒廃したローマ道の残存部分か自然道を通って旅行する以外になかった。ヨーロッパで近代的な道路がつくられるようになるのは、18世紀後半以後である。

[増田義郎]

インカの王道

15世紀前半に、南米、中央アンデス南部に生まれたインカ帝国(タワンティンスーユ)は、その名のように四つの州(タワンティンは「4」、スーユは「州」)よりなり、それらに通ずる4本の道が首都クスコを中心につくられた。現エクアドルからアルゼンチン北部、チリ中部に至る細長い国で、幹線は高地と海岸に沿って並行につくられ、その間を多くの支線が結んだ。その全長は約8800キロメートルだから、ローマ道の約10分の1でしかない。しかし、インカ道にはタンボとよばれる宿泊所やチャスキとよばれる飛脚の制度が置かれ、旅行、輸送、伝令などがきわめて能率的に行われていた点に大きな特色があった。飛脚は1日280キロメートルの速度で命令や情報を伝えた。またタンボには、旅行者や軍隊の便宜を図り、大量の食料、衣料、履き物、燃料などが用意されていた。治安のよさにおいては、ローマ道や中国の王道をはるかにしのいでいた。インカは全アンデスの道路網の完成者であったが、同じ性格の道路は、インカ以前のワリ期、モチェ文化期などに、すでに部分的につくられていた。

[増田義郎]


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