たのし・い【楽】
〘形口〙 たの
し 〘形シク〙 ある状態や持続的行為によって欲望・願望などが満たされ、快いさま。
① 精神的・身体的に満ち足りて快適である。愉快である。
※古事記(712)下・歌謡「山県に蒔ける菘菜(あをな)も吉備人と共にし摘めば多怒斯久(タノシク)もあるか」
※地蔵十輪経元慶七年点(883)四「苦(たしな)きを息(しの)び身心楽(タノ)しくならむといふ」
② 物質的に満たされて豊かであるさま。裕福である。
金持である。
※今昔(1120頃か)二九「其の後は蔵の物をも取り仕(つか)ひ近江の所をも知て、楽しくてぞ有ける」
※平松家本平家(13C前)一「月の毎に百穀百貫を送られければ家内富貴して楽き事限り無し」
③ 作物などが豊富である。
※大鏡(12C前)五「まめ・ささげ・うり・なすびといふもの、〈略〉この
としごろは、いとこそたのしけれ」
[語誌](1)
上代には、①の精神的な快楽や満腹感を表わす用例が目立つ。院政期より②の物質的に裕福である意が現われ、中世にはさらに金銭的に満たされるの意味ともなり、「まづし」の
対語として用いられている。
(2)快い気持を表わす点では「うれしい」と共通するが、「うれしい」が、主にその場における直接の反応を示す表現であるのに対して、「たのしい」は、主にそういう気持の持続するさまを表わす。
たのし‐が・る
〘自ラ五(四)〙
たのし‐げ
〘形動〙
たのし‐さ
〘名〙
たのし‐・む【楽】
[1] 〘自マ五(四)〙 欲望・願望などが満たされた状態になる。
① 心が満ち足りて安らぐ。楽しく思う。
※書紀(720)雄略四年二月(図書寮本訓)「遂に与に遊田(かり)に盤(タノシム)て一の鹿を逐(お)ひて」
② 経済的に、裕福になる。
※高野本平家(13C前)一「毎月におくられたりける百石百貫をもいまはとどめられて、
仏御前が所縁
(ゆかり)の者共ぞ、始めて楽
(タノシ)み栄えける」
[2] 〘他マ五(四)〙
① (多く「…をたのしむ」の形で) …の中に、あるいはその状態において、心の満足を感じる。
※発心集(1216頃か)序「道のほとりのあだ言の中に我一念の発心を楽(タノシム)ばかりにやといへり」
② ある持続的な行為によって、心を快適にする。また、満足しながら、ある行為をする。
※
歌舞伎・助六廓夜桜(1779)「助六と揚巻さまは、今に仲がよう楽しまれますか」
③ 将来に期待をかけることによって、心を希望で満たす。
※和英語林集成(初版)(1867)「Tanoshinde(タノシンデ) マツ」
[3] 〘他マ下二〙 たのしませる。
※妙一本仮名書き法華経(鎌倉中)二「ひろく衆生を饒益(ネウヤク)(〈注〉タノシメ)したまふをみて」
がく【楽】
〘名〙
① 楽器を用いて音曲を奏するもの。儀式に用いられる
音楽や楽曲。
※続日本紀‐和銅元年(708)一一月辛巳「宴二五位以上于内殿一、奏二諸方楽於庭一」
※源氏(1001‐14頃)
紅葉賀「がくの声まさり、物のおもしろきほどに」
② 特に、雅楽。したがって、雅楽の琵琶
(びわ)を楽琵琶、箏
(そう)を
楽箏、太鼓を楽太鼓という。
※宇津保(970‐999頃)嵯峨院「垣下(ゑが)には行正(ゆきまさ)、がくには仲頼(なかより)、そこらのあそび人どもにます人なくあそぶ」
③ 能楽で、笛を中心とした
はやしに、舞楽の技法を取り入れた舞事で、ゆったりとした異国的な舞を伴う。「唐船
(からふね)」「邯鄲
(かんたん)」「東方朔
(とうぼうさく)」などの曲にある。
※虎明本狂言・
唐相撲(室町末‐近世初)「それからいしゃうぬぐうちに、がくなり」
④ 箏、
三味線などで、雅楽の感じを出すために雅楽の手法を取り入れた
合の手。箏曲「小督
(こごう)」や長唄「鶴亀」の合の手の類。
⑤ 歌舞伎の下座音楽の一つ。太鼓に大小鼓、能管、または
大太鼓、鈴を用い、三味線を入れたりして、
時代物の御殿、神社、
仏閣の場や
天女、不動、観音などの出現の場などに用いる。
※歌舞伎・四天王楓江戸粧(1804)三立「『
ナニ、高明卿の』『御社参とな』『女め、動くな』トきっと思ひ入れ。三味線入りの楽
(ガク)になり」
らく【楽】
〘名〙
① (形動) 心身に苦しみや苦労がなく、齷齪(あくせく)せず安らかでたのしいこと。快いこと。また、そのさま。安楽。
※百座法談(1110)六月一九日「其後に人いできたりて、
我が身より光をはなちて、たがひにてらして楽
(ラク)をうる事、天におなじく命ち長き事、無量歳なりき」
② 好むこと。愛すること。
※
徒然草(1331頃)二四二「楽といふは、このみ愛する事なり。これを求むることやむ時なし」
③ (形動) たやすいこと。容易なこと。あるいは、生計が豊かなこと。また、そのさま。
※交易問答(1869)〈
加藤弘之〉上「僅半時か一時の間に楽に搗く事も出来るし」
※
源流茶話(1715‐16頃か)上「茶碗にはふくりんなし。〈略〉和焼には瀬戸・白菴・唐津・楽の類なり」
たのしび【楽】
※書紀(720)武烈四年四月(図書寮本訓)「樹の本を
倒
(きりたふ)して、昇れる者を落死
(おとしころ)すを、快
(タノシヒ)とす」
※古今(905‐914)仮名序「たとひ時うつり、ことさり、たのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや」
たのしみ【楽】
〘名〙 (動詞「たのしむ(楽)」の連用形の名詞化)
① 心身が満たされて、快いこと。また、そのような状態。悦楽。歓楽。
※観智院本三宝絵(984)下「願ふ心はねてもさめてもかの国の楽みをねがふなり」
② 将来それが実現することを心待ちにすること。
※浄瑠璃・絵本太功記(1799)一〇日「遖(あっぱ)れ高名手柄して。父上や祖母様に誉めらるるのが楽しみと、にっと笑うた其顔が」
たのし‐・ぶ【楽】
※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)一〇「倶に林の中に往きて共に遊び賞(タノシヒ)けり」
※徒然草(1331頃)一二九「おとなしき人の、喜び、怒り、悲しび、たのしぶも、皆虚妄なれども」
[補注]一般に、上代では形容詞の動詞化したものはバ行上二段に活用することが多いが、「たのしぶ」には、その確例がない。
たぬし【楽】
〘形シク〙 (万葉仮名で、現在、「の」の甲類とされている「怒」「努」などを、近世の万葉学で「ぬ」と読んだところからできた歌語) =
たのしい(楽)※良寛歌(1835頃)「子供らと手たづさはりて春のぬに若菜を摘むはたぬしくあるかも」
がく‐・す【楽】
〘自サ変〙 音楽を演奏する。
※宇津保(970‐999頃)楼上下「西の方の錦の平張よりおほつづみ打ちて、しづかにやうやうがくしいづ」
たのし【楽】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「楽」の意味・読み・例文・類語
がく【楽】
1 楽器を用いた快い音曲。音楽。「妙なる楽の音」
2 特に、雅楽。
3 能の舞事の一。舞楽の感じを表す、ゆったりとした異国風の舞。唐人・仙人などが舞う。また、笛を主にしたその囃子。
4 狂言の舞事の一。3をまねたもの。
5 歌舞伎下座音楽の一。太鼓を主に、大鼓・小鼓・能管、あるいは大太鼓と鈴を配し、ふつう三味線を伴う。王朝物の御殿の場や、神仏出現の場などに用いる。
6 民俗芸能の一。太鼓踊りの一種で、大分・福岡・山口の各県に分布。楽打ち。
[類語]音楽・ミュージック・声楽・器楽・洋楽・邦楽・雅楽・音曲
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
楽 (がく)
中国古代に礼と並んで重要視された概念で,人心を感化するはたらきをもつとされた。やがて今日の音楽に近い意味で用いられた。日本では,外来の音楽,あるいは雅楽の意味で用いられた。能・狂言の囃子事や歌舞伎の下座(げざ)音楽で用いられる場合は,下記のように唐楽を模した音楽を意味する。
(1)能の囃子事。唐人(《邯鄲》《唐船》)や異相の老体の神(《源太夫》《白髭》),童体の天仙(《一角仙人》《枕慈童》)などが,雅楽の舞楽を模して舞う舞事。実際には舞楽とは似ておらず,随所で足拍子を数多く踏むのが特徴。笛,小鼓,大鼓,太鼓(演目により有無両様)で奏する。笛には固有の地があり,打楽器のリズムに合う。この舞事はゆるやかに始まり,だんだん速さを増しながらリズミカルに奏演する。ただし,異相の老体の神の場合はあまりテンポを速めず,どっしりと奏する。普通は笛が黄鐘(おうしき)基調だが,特別な演出で盤渉(ばんしき)基調となることがある。これを〈盤渉楽〉というが,この舞事は浮きやかにテンポよく奏演される。(2)狂言の囃子事。唐人が舞う飄逸な舞事(《唐相撲》)。能の楽を模したもので,笛,小鼓,大鼓,太鼓で奏演する。笛はリズムに合う。打楽器は〈三ツ地〉という手組を繰り返すのみ。(3)歌舞伎の下座音楽。神仏の出現するときや,貴人の出入りするときに用いられる。普通は笛,太鼓,大太鼓で奏されるが,小鼓,大鼓が加わることもある。
執筆者:松本 雍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
楽
がく
日本音楽の用語および曲名。 (1) 音楽の略語。 (2) 雅楽の略語。 (3) 能の囃子事 (器楽的演奏) の曲名。舞楽を擬した舞。黄鐘楽 (おうしきがく) と盤渉楽 (ばんしきがく) とがあり,単に楽といえば前者をいう。 (4) 能・狂言の囃子事。能の黄鐘楽を簡略化したもの。 (5) 歌舞伎囃子の曲名。能の囃子の「楽」を模したもの。長唄曲の出囃子などに用いられる。また,陰囃子の「音楽」の略称。 (6) 三味線音楽の旋律名称。雅楽風の感じを出す旋律。歌舞伎下座音楽としては「楽の合方」または「今様楽の合方」「小町合方」などともいい,「音楽」または「管弦 (かげん) 」「奏楽」などの陰囃子を伴う。長唄曲の同様の旋律による間奏部分名称にも用いる。 (7) 山田流箏曲の旋律。雅楽の箏の奏法に近い奏法で,雅楽的な気分を表現する特有な旋律。本手と楽の手との合奏となる。 (8) 民俗芸能では,太鼓または太鼓を打つことを中心とした芸能すなわち「楽打ち」のこと。田楽の略語にも用いる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
楽
キリンビールが販売する連続式蒸留焼酎(甲類焼酎)の商品名。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の楽の言及
【宗教音楽】より
…諸宗教における[典礼音楽]ばかりでなく,広くは宗教的な色合いをもつ音楽をも包含する概念。今日の未開民族における宗教と音楽との混然たる状態は,遠い昔における人類の宗教と音楽との未分化の姿を示していると考えられる。…
【舞事】より
…[囃子]と所作からなる囃子事小段(しようだん)のうち,演者(立役(たちやく)・立方(たちかた))が舞台上で演ずる所作が,抽象的な形式舞踊であるものを舞事という。能の舞事には,笛(能管)・小鼓・大鼓で奏する〈[大小物](だいしようもの)〉と太鼓の入る〈[太鼓物]〉とがあるが,その両者を含めて,笛の基本の楽句である[地](じ)の種類によって分類されることが多い。すなわち,[呂中干](りよちゆうかん)の地といわれる共用の地を用いる〈序ノ舞〉〈真(しん)ノ序ノ舞〉〈[中ノ舞](ちゆうのまい)〉〈早舞(はやまい)〉〈男舞(おとこまい)〉〈神舞(かみまい)〉〈急ノ舞〉〈破ノ舞(はのまい)〉などと,それぞれが固有の地を用いる〈楽(がく)〉〈[神楽](かぐら)〉〈羯鼓(かつこ)〉〈鷺乱(さぎみだれ)(《鷺》)〉〈猩々乱(《猩々》)〉〈獅子(《石橋(しやつきよう)》)〉〈[乱拍子](《道成寺》)〉などの2種がある。…
【礼】より
…朱熹(子)は〈天理の節文,人事の儀則(ぎそく)〉(《論語集注(しつちゆう)》学而(がくじ)篇など)と定義し,礼を人間の先天的な道徳性([天理])の表現としてとらえて,内と外の乖離(かいり)を止揚しようとした。 〈礼楽〉と並称される〈楽(がく)〉は,広く礼のなかに包摂されるが,分けて言った場合,〈楽は同をなし礼は異をなす〉〈楽は天地の和,礼は天地の序〉(《礼記》楽記篇)などとあるように,世界を分節して秩序づける礼に対し,楽はその厳格なコスモスの一時的な解体――カオス化をめざしている。 礼は〈礼治〉という語があるように,それ自体ひとつの政治思想でもあった。…
※「楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」