デジタル大辞泉
「究竟」の意味・読み・例文・類語
く‐きょう〔‐キヤウ〕【▽究×竟】
1 仏語。物事の最後に行きつくところ。無上。終極。
2 極めてすぐれていること。また、そのもの。
「主従三騎―の逸物どもにて」〈平治・中〉
3 極めて都合がよいこと。あつらえむき。くっきょう。
「卒爾の用にも叶ひて―の事にてあるなり」〈後鳥羽院御口伝〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
く‐きょう ‥キャウ【究竟】
① (形動) 仏語。物事の究極に達すること、また、達した所。終極。くっきょう。
※
法華義疏(7C前)一「為是究竟法者、問吾所
レ証尽無生二智、為究竟、未
二究竟
一」
※三帖和讚(1248‐60頃)
高僧「究竟せること虚空にして、広大にして辺際なし」
② (形動) 力や技術、
技量などが非常にすぐれていること。くっきょう。
※金刀比羅本平治(1220頃か)中「主従三騎くきゃうの逸物どもにて」
③ (形動) 非常につごうが良いこと。絶好の機会。くっきょう。
※後鳥羽院御口伝(1212‐27頃)「卒爾の用にも叶ひて、究竟の事にてあるなり」
※百座法談(1110)六月二六日「三身円満し、究竟妙覚のくらひにかなひ給へる」
[語誌](1)「究極」とほぼ同義であるが、
梵語の uttara の訳として用いられたため、①のように
仏教で最終至高の地位、境地を指すようになった。それが、「平家物語」などの
軍記物語や「
吾妻鏡」で、②のように
武芸の優れている意、さらに城や牛が頑丈である意にも転用されるようになった。
(2)
本来は「くきゃう」という呉音読みを正しいものと認識していたようであるが、軍記物語などでは強調表現として「くっきゃう」と促音化したものも多く見られる。そのため後には「屈竟」と書くようにもなる。
くっ‐きょう ‥キャウ【究竟】
〘名〙 (「くきょう」の変化した語)
① 物事のせんじつめたところ。完全な域。究極の境地。つまるところ。〔
日葡辞書(1603‐04)〕
② (形動) 武勇の力が強いこと。きわめて頑丈なこと。また、きわめてすぐれていること。
※平家(13C前)七「もとより究竟
(クッキャウ)〈高良本ルビ〉の城
也」
※
浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)四「在所しれなば究竟
(クッキャウ)の
者共をつかはし」
③ (形動) たいへんつごうのよいこと。あつらえ向き。
※
太平記(14C後)二六「すはや究竟
(クッキャウ)の事こそ有けれ。師直・師泰を讒し失はんずる事は、此の僧にまさる人非じと」
※浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)四「金子廿両の
預り手形。是究竟
(クッキャウ)の物と悦び」
きゅう‐きょう キウキャウ【究竟】
〘名〙
① (形動) 事をきわめて、究極に達したところ。最高であること。また、そのさま。くきょう。
※新札往来(1367)上「源氏書籍者、
紫明抄・水源抄。伊勢物語註者、経信卿知顕抄。究竟物候」
※春と
修羅(1924)〈
宮沢賢治〉オホーツク挽歌「究竟
(キウキャウ)の幸福にいたらないなら」
② (副詞的に用いる) つまるところ。結局。畢竟(ひっきょう)。
※
春城随筆(1926)〈
市島春城〉趣味談叢「其の目的は一掬の涼味を買はんとするに在り、涼味は水に在り、渠等は究竟水を買ひに行く也」 〔通俗編‐
語辞・究竟〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
究竟
くきょう
uttara
仏教用語。「より高い」の意から,究極を意味する。また,「事物を徹底的にきわめる」の意にも用いられる。また「絶対」の意。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報