新町(大坂の遊廓)(読み)しんまち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新町(大坂の遊廓)」の意味・わかりやすい解説

新町(大坂の遊廓)
しんまち

大坂にあった遊廓(ゆうかく)の地名。大坂の遊廓は、1585年(天正13)に豊臣(とよとみ)秀吉市中に散在した遊女屋を集めたのに始まると伝えられるが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には伏見呉服(ふしみごふく)町から道頓堀(どうとんぼり)へと移っていたものが、元和(げんな)~寛永(かんえい)初年(1620前後)に現在の西区新町1丁目付近へ移転して定着した。そのときにできたのは瓢箪(ひょうたん)町であり、その後に市内各所から引っ越してきて、隣接地に佐渡島町、新京橋町、新堀町、吉原町を形成した。これらの町の正確な移転年代は確定できないが、全容が整うまでには約30年かかっている。新町の名称は、瓢箪町をつくるときに新しく開いた町という意味で命名したともいうが、前記の町々のほかに佐渡屋町や九軒町などを総合した町名として用いられた。新町は当時の遊廓形式に従って、周囲を溝で囲み通行を一方口にして、一般市域から隔離した特別区画になっていた。通行口は大門(おおもん)とよび、1657年(明暦3)にそれまでの西側中央のほかに東側にも新設された。新町遊廓は、最大の商業都市大坂における唯一の公認遊里として発展し、ことに九軒町を中心に集まっていた揚屋(あげや)は建築や庭園などの設備がよく、遊興方式としての揚屋制度の発達に伴い、揚屋遊びでは全国一の評判が高かった。廓内には揚屋のほか、小天神(こてんじん)以下の中・下級妓(ぎ)や芸子との遊興場所であった茶屋があり、他の遊里の茶屋より優れていた。近世前半の隆盛に対し、中期以後は市中に続出する私娼(ししょう)街のため低落傾向をたどった。

[原島陽一]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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